チーム「Link∞UP」は日本と北米の‘愉快で有益な’「マウンテンライフ」情報を日本と英語圏において共有をすること。 その生活を‘一生懸命楽しんでいる人達’のコネクション強化を図ることを目的に活動しています。 日本や北米でのマウンテンライフについて情報の欲しい方や私達に興味のある方はお気軽にご連絡下さい。

2021年5月10日月曜日

Vol 204, ナラオピーク 2974m Narao Couloir

 

全景

Pope's peakのそばにあるナラオピークのクーロワール。
左右どちらもいけるが、左のオーバーヘッドが小さい。

アプローチ

ブーツパック開始



雪質が不安定で苦労した。


頂上にて

滑り出し、結構急。
ただ斜面全体は見えるので多分50度以下。
クリフバンド、氷河などない。

最初の50mはパウダーでよかった。
その後はスラフで固められた難しい雪だった。


このロケーションで滑れるのはいい。
地図

timeline 
2021年4月6日

約6−8時間
標高差1600mー2974m
距離 約10km

ギア 

アイスアックス

ブーツクランポンがいるような硬いコンディションならやめた方がいい

谷剛士
Florian Jungen


2021年5月9日日曜日

Vol 203,  Lockdown Face  クートニー国立公園

 

クートニーのロックウォールにあるロックダウンフェイス。

50度近い傾斜、1000mを超えるラインはロッキーのスティープスキーのラインとしては珍しいぐらい綺麗。


朝は晴れていた。


頂上稜線


頂上にて。

頂上からの滑り出し、急傾斜と真下にロックバンドがあるので緊張が強いられる。
転倒はかなり危険な結果を招く。
晴れてたらノンストップでいけるかもしれない。

下部もフラットライトでなかなか難しいコンディションだった。


地図、

赤色はマイナス30度の時の偵察ライン。

滑ったのは黒いライン。


Time line

2021/02/19

かかった時間多分8時間くらい

登り6時間半、下り1時間半

標高 1400−2650m

距離19km 往復


ギア、

氷河は躱せるので、通常のツアリングギア。

クランポンなし、もしかしたらアックスはあっていい。


谷 剛士

菊池夫婦




Vol 202, Stanley Peak 3155m N face


全景
赤点はクライマー
カナディアンロッキーのスキーのクラシック。強傾斜のライン。
夏は素晴らしいアルパインアイスクライミングのルート。


斜面が大きいので、雪崩のコンディションには特に注意が必要。

 
頂上。

最初のピッチは50度超える。スラフ注意。
今回は所々氷河が露出していたので危険度は中程度。
その後は40〜45度。雪質によるがいいピッチ。
安全地帯からメインスロープを眺める。

年にもよるが今年は駐車場まで滑れた。

地図



time line
2021年5月6日

300am canmore
415am trail head
945am summit
1130am trailhead (30分のランチ入れて) 

標高 1550−3155m
距離 約18km 往復

ギア
ロープ 30mx1
グレーシャートラベルキット
ブーツクランポン
スキークランポン
アイスアックス

谷剛士、Florian Jungen


2020年11月1日日曜日

Vol,201 ルート名 一念 グレード WI5+R M4 130m ストームクリークヘッドウォール クートニー国立公園

 雑記、



昨日、友人と未登の氷を登りにいく機会があった。

バンフの町で朝の気温は−23度、体感気温は−28度。山はもっと冷えていたに違いない。
このような状態は氷にとって良くない状態で乾燥した冷気が氷から水分を吸収して脆く弱い氷を形成する。
冷凍庫に氷を長く放置していたら小さくなりやがてなくなるのと同じ原理だ。
カナダでアルパインガイドとして五年、スキーガイドとして2年、雪や氷について勉強をかさね、賢くなり、危険を遠ざける作業を毎日のように繰り返していると、山と言えどいつの間にかある程度、安全な中で自分の限界にトライしていることを忘れがちになる。
安全な中で何かを挑戦することは素晴らしい。だがそれはルールに守られたスポーツに近い部分も否めない。
先日、また別の友人が作った本を読む機会があり、その中に冒険家の田中幹也さんの一節で、山を登ることだけに集中してると天気やコンディションの良い時を選んで山に行く、それが良いとは限らないと。彼は悪天や厳しい状態が山本来、自然本来の姿を感じることができるのでそれを選んでやっているというような言葉があり、衝撃を受けた。
ああ、これはまさに俺のことだなと、いつもより、危険が多い状態でトライするのは馬鹿げていると。
そして忘れかけた感覚を思い出させてくれた。
10〜20代、穂高の山小屋で過ごしていた時のことを思い出した。その山に住み、その山を守っていくことに見せられた人たち(小屋番)に憧れ、冬も山小屋で働き、年間300日以上標高2300m以上に暮らしていた。
木の一本一本、草花や、岩の場所、雪の降り積もり方など、全てを覚え、自分の家のように、その山をもっと知りたいと思って暮らしていたことを思い出す。
その中で自分がその山域を一番知っていたいと思っているのにアルパインクライマーが冬の穂高を当時の自分より知っていることに恥ずかしさを覚え、小屋番の先輩に連れられ冬山に入り、厳しさ、美しさに身震いした。
クライミングを覚え、滝谷を登った時、穂高は新しい表情を見えせてくれた。
スキーをするようになり、まだ山小屋が開いていない早春の涸沢に滑り込む喜びを知った。
いい時も悪い時も全てを感じていたあの頃。
グレード追い、スタイルを洗練させ、一見ハイレベルに登り滑っているように見えても、ただ良い時だけを選んで山に行っているなんて、全然山を見ていないなと感じた。
そう自分はただもっと山を知りたかっただけだったんだ。
カナディアンロッキーをもっと知りたい、もっと感じたい、誰も見たことのない景色が見たい。
そういう気持ちを忘れていた。
準備を済ませ、凍てつく寒さの中、雪をかき分けアプローチこなす。
案の定、氷は状態が良くない。ひとつ間違えれば怪我では済まない。友人と話し合い、慎重に登っていく。
その中には間違いなく忘れかけていたものが戻ってくる感覚があった。
登り終え稜線に出る。北壁特有のトップアウトするとそこには陽の光があった。
未知の領域を進み、登り切る喜び。
どれだけ小さな壁でもこのような気持ちにさせてくれるアルパインクライミングという行為。
僕は命をかけ、冒険的な山に登ることがいいとは思わない。
だが、それこそが登山の原点であり、山を知る、感じる方法の一つということに疑う余地はない。
もしいつか自分ができなくなったとしても、山を生業にしている以上、その行為を、そしてそれに命をかける人間を理解できる人間でありたいと常に思う


谷 剛士

2019年12月20日金曜日

Vol.200 マウンテンライフの共有

バックはIce Lineの表紙にもなっているフェアフルシンメトリー
久々に凍りました。
メリークリスマス山田トシです。記念すべき200回目のブログの前にご連絡があります。突然の発表で恐縮ではありますが、仲間と共に2015年から4年間地道に続けてきたブログの定期配信をメンバーと相談した結果、無期限休止することになりました。理由は色々ありますが、一番は記事の投稿に対して読者の反応が薄れてきたこと(ポジティブに捉えると多くの人が特に私達の情報がなくとも有益なマウンテンライフを送れているということかな?)それに伴い私達が情報を定期的に発信していく意義やモチベーションを保てなくなったことが一番の理由です。継続することの難しさを痛感しています。毎週読んで下さっていた読者の皆様には誠に勝手ではありますが、ご理解のほどお願い致します。

さて、残念なお話はここまでにさせて頂き、記念すべき200回目のブログを始めましょう。今回はリンクアップの趣旨であった、「マウンテンライフの共有」について書きたいと思います。

先日、SNSのカナディアンロッキーアイスクライミングのグループ内で有益な意見が出されました。アバランチカナダが発信している雪崩の情報の中にマウンテンインフォメーションネットワークという項目があり(以下で説明)その中でマウンテンユーザーが自分の見た雪崩やアイスクライミングのコンディションをアップしていこうよというものです。多くのアイスクライマーやガイド達もその意見に賛同し、早速その情報がアップデートされるようになりました。それにより、アイスクライミングルートにおけるリアルタイムの雪崩の情報とルートのコンディションが随時確認できるようになりました。
数年前から主にスキーのコンディションはアップされていましたが、今回はアイスクライミングにおいても同様の試みをしていくことになった形です。

アイスクライミングにおいての雪崩の危険はアプローチにもありますが、ルートの上に存在するスタートゾーン(雪崩の発生個所、アバランチスロープ)に対して最も警戒しなくてはなりません。アイスクライミング中はその場所に滞在する時間が長いからです。また、いかにサイズ(雪崩の大きさ)が小さくとも氷にへばり付いている時に当たれば大墜落は免れませんからね。
そのルート上に存在するスロープにどれくらいの雪が溜まっているのかを判断することが、雪崩の危険が大きいルートに行くかどうかを判断する上で重要な要素になるという理由が挙げられていました。

今まではFBグループの「Canadian Rockies Ice Climbing」においてこの手の情報は挙げられていましたが、過去の情報をトラッキングすることが難しいという理由もあり、アバランチカナダのウェブ内で情報を共有していく方がより利便性が高いこともあり、今回の提案に繋がったようです。
具体的にこんな感じで閲覧できます。

アバランチカナダのサイトへ行き、自分の行きたいエリアにある数字をクリック
青いピンマークがマウンテンインフォメーションネットワーク

ジャスパー国立公園にある有名なポーラーサーカスでの雪崩情報を発見
日時は勿論、雪崩の大まかな回数

コメント欄にはトレイルのコンディションやアイスの状況まで記載してくれている場合もあります。
ポーラーサーカスのルート中にあるペンシルというレアものも今年は氷結が宜しいようです。

こんな感じで使い勝手は抜群で特に日本から来たクライマーには心強い味方になってくれると思います。
アバランチカナダという公共のサイトに誰でも気軽に情報を書き込むことができ、そしてそれをアウトドアを楽しむ誰もが閲覧し、自分のクライミングやスキーに活かすことができる。いかにも合理的で北米らしいフリースタイル。実は私の車もフォード・フリースタイル(関係ないけど)。

ウェルカムボブと愛車のフリースタイル
ロッキーでの典型的な駐車場(路肩)

話が逸れますが、これに加えてウィルギャットがリリースした「Ice and Mixed:Western Canada」のアプリがあればほとんどのルートの駐車場所やアプローチ情報もGPSで確認できるので、暗闇オンサイトトライも随分楽になりました。←実際のクライミングよりもその日の核心となる可能性も高いです。
最近は写真も動画もガイドブックもGPSもスマホ一台で事足りる。便利な世の中になったものです。このアプリ自体もウィルが多くのローカルクライマーから集めた情報(GPS座標とか)で作られているんですよ。

これらを駆使して、これからカナダに来る日本人のクライマー皆様、思う存分登って頂ければと思います。

自分のマウンテンライフを他者と共有すること。そうすることでクライミングコミュニティー全体の安全係数が上がったり、はたまた新たな可能性や記録が生まれたりする。

特に何も考えずにキャンモア、バンフの有名な街なら沢山日本人のクライマーもいるっしょと思って乗り込んだ5年前。実際は片手で数えられるくらいの人達しかいなかった。そのお陰でパートナー探し、情報もなくとりあえずクライミングに出かけるという毎日が未知の連続で楽しくはあったが、無駄な努力や失敗もした。思った通りにクライミングができず歯がゆい思いをしたのも事実だった。それならば、自分が経験したことを発信していくことで、次に来たクライマーがもっと充実したマウンテンライフを送れればいいなと思い、谷と共にリンクアップを立ち上げたことを思い返しながら書いてみました。

4年間ご愛読頂きまして、メンバーー同感謝しています。各人がこれかも変わらずに自身のマウンテンライフを楽しみ、たまにはマウンテンライフの共有をしてくれると思います。その時は是非一読して下さい。

夏の第0回クライマーズミート(バーベキューしただけ)
ロッキーのクライマー何気に増殖してます。

おまけ動画

冒頭の写真の動画バージョン
サウスゴーストにあるReactal Hallという素晴らしいエリア
これからのモチベーションにどうぞ

























2019年12月4日水曜日

Vol 199. クライミングとスキーの両立の難しさと可能性。





ご無沙汰してます。谷です。冬が始まりました。


4年前このリンクアップのブログを始めてから色々なことに日本人の仲間やカナディアンとトライして来ましたが、ようやくビザの問題がなくなりこの冬から自分がしたいこと出来るかなという感じがします。もちろん国際ガイドの最後の試験が春にあるので完全自由ではないですが…。

僕がしたいこと、それは登りと滑りを1日で楽しむ。それも結構なレベルでです。

スキーとクライミングというのは同じ山で遊ぶ行為ではあるのですが、やはりベクトルが多いに違います。登る、滑るという行為は使う筋力も違えば、どちらかをやることによって片方の良さをなくす結果になるときもあります。
例でいればスキーの筋力が足やお尻に付くと否が応でも重くなって、軽いほうがいいクライミングにはデメリットにもなる。
自分では結構得意な気がしているアイス。

ただ冬に関して言えば、アイスクライミングや雪壁を登る筋力は主に足であり、これをうまく利用できないかなとカナダ来てからだいぶと考えて来ました。

アイスは基本的に氷の質や形状が安定していれば、現代のボルダリングのようなダイナミックな動きもなく、自分でラインやホールドを作れるため実は自分のラインを選択できるスキーと似ています。しかもコンディションによって大きく左右されるのもしかり。

正直この部分でロックにみんなが行くのもわかる気がします。なぜなら岩は固く、壊れない限り基本的に難しさは初登攀と変わらない部分もあるからです。
なので純粋に自分の限界にトライできるし、雪崩などの不確定要素。事故があった時の凍傷や死に至る結果からかなり冬のアクティビティに比べ激しくないからです。
比較的安全に難しいことを山でしたいならやはりロックかなって気もします。

またスキーやアイスは誰かが登ったあとや滑ったあとだとかなりの割合で簡単になります。まず不確定要素が少なくなり、アイスは最初登った人のスイングの穴を利用できますし。スキーに関しては雪のコンディションがわかるので思いっきり突っ込めます。
でもこれじゃ面白くない。
登られまくって穴だらけの6級登るより、この冬誰も触ったことのない4級の方がはるかに難しく、僕には価値があるのです。それがまだ誰も登ったことのない氷だったら?
言葉にするのは難しいですが山の本質はやはり冒険だと僕は思うのです。
山スキー、アイスクライミング(アルパインクライミングというときもある)の良さはやはり、共に冬の登山として雪崩や落石などの不確定要素と戦い、何が待ち受けているかわからない未知の領域に向かい、そして何より誰も触ったことのない氷、斜面にトライするという数字では語れない難かしさ(冒険性)これに尽きるかもしれません。

もういい歳して冒険なんて恥ずかしいですが、僕は今でもラピュタを見て冒険に出かけようとモチベーションを高める39歳なのであります。
2018年のカリブ山脈の一コマ、スキーを背負っての登攀能力は数字では語れない。

山スキーで培った雪崩の知識判断、急峻な地形を滑る技術、氷河技術、冬山の生活術。
アイスクライミングで培ったコンディションを見極める技術、落ちない精神力、安全への何重にも及ぶバックアップなど、数え切れませんが、これらすべてを使って出来ることトライして見たいという気持ちにこの冬はなっています。


僕が山を始めた頃にはもうそこには未踏峰も少なく、未踏の壁は高難度でトップクライマーでないとできないレベル、ファーストディセントもレッド○ルのイケイケのビックマウンテンスキーヤーじゃないとできない一歩間違えれば死の世界。そんなのとても凡人の僕ではできません。
しかしながらこのロッキーは登りも滑りもトップクラスでできるエリアであり、僕はようやく地元民(ローカル)になることができました。
緻密に集めた情報や経験、住んでいるからこそ、つかめるかもしれないいいコンディションを待って、新しい挑戦をしたいと思います。
昔の登り滑られているルートや山でも、発想次第でまだまだ冒険が待っている。
これが僕が山をやる一番の魅力だと考えているからです。
カリブートラバースの一コマ、100Lのザックを背負ってのターンは数字では語れない。


またこの春リンクアップの仲間、千春とボブでバカブー・ロジャースパスの130kmの氷河縦走計画しています。すごく難しい斜面はないけど、トップアスリートのようにクレイジーなことはできないけど大好きな山をどっぷり感じれるいい縦走になると信じています。

最後になりますが、自分の能力を最大限まで引き出せる、そんな山行を計画し、そして実行に移す、これこそが最大の挑戦であり、目標とする山になることでしょう。
スキーとクライミング、小さいながらも片方ずつの翼をようやく手に入れることができました。
これでどこまで羽ばたけるか、今からワクワクが止まりません。

レッド○ル翼を授ける!

ではオチがついたところで皆さん良いシーズンを!



2019年11月19日火曜日

Vol.198 「初」なんちゃらについて思うこと

「加代は、ふしぎでたまらない。あんなに、つもってはきえ、つもってはきえしているのに、どうして、いつのまに、ふんでもとけないあつい雪の道ができるんだろう。土にとりついて、とけないで、上からおちてくるなかまをささえた、そのさいしょのひとつぶの雪を、加代は見たい。」『加代の四季』より

この文章を読んだのはいつ、どの教科書でだったかは忘れてしまった。しかし、雪国に住む者として、また毎年初雪に胸を躍らせていた少年として、この文章は深く心に残った。 私は 同じような疑問を抱きながらも、雪が積もり始める現象を同じ視点では見ていなかった。積雪を擬人化して表現したこの文章には、今でもなんとなく感動を覚える。

昨シーズンの初滑りは年始の立山だった

最近になって、壮年になった私はこの文章をふと思い出してググり、『加代の四季』というタイトルを知った。この時私が「ひとつぶの雪」に重ねたのは、登山やクライミングにおける初登頂、初登攀であった。これらの「初」という行為は間違いなく次にくる人を支えている。もちろん、本人にそんな意図はないかもしれないが、多くのその後に来るフォロワーにとってはそうである。

山であれば、登られていれば少なくとも人間に登ることが可能であることがわかる。フリークライミングであればグレードである程度客観的な難易度を測ることができる。さらに登っている人のことを知れば、さらに情報が得られ、それが身近な人で自分と同じくらいのレベルであれば、「奴が登っているなら自分も...」などと考えてしまう。それがボルトルートであれば、支点によって直接的に体重や衝撃を支えてもらうこともある。

日々ボルトに支えられている

何が言いたかったかというと、やはり「初」 というのは別物だということである。 その後、さらに良いスタイルで登られたとしても、それが可能であることを知った状態でそれをしたかどうか、あるいは事前に情報を得ているかどうか、というのは体験の質という意味で全く異なるということである。こんなことは色んな人が書いているだろうし、これ自体、何かで読んだり聞いたりしたことの受け売りに過ぎないのだろうが...。

クライマーとして未熟な私は、クライミングで「初」という経験はない。それに近い体験はしているのかも知れないが、誰も気にしないようなラインで、技術的難易度も低いものだ。故にどこかに発表する必要もないのだが、それでも気持ちの昂りというか、未知故の不安やそれを越えたときの興奮というのは、やはり得難い経験であったと思う。

山スキーにおいては、少しだがある。つまり人の記録を頼りにせず、自分で地形図や写真、時には登攀記録等を読み解いて、おそらく誰もやったことがないであろう滑降ラインを引くことである。ただ、今私にこれができているのは、卓越した発想力や技術があるからというより、日本にこのような行為に意義を見出す人が少ないからであろうと思う。

初なんちゃらは充実感がすごい

登山とスキーというのは分離して久しく、クライマーでスキーができる人というのは、本当に少ない。それに、日本は雪質が良く、メローで変化に富んだ斜面が豊富で、滑れるかどうかわからないような妖しい場所を求めるより、このような場所に楽しみを求める方が自然ともいえる。とはいえ、数が少ないからといって、その行為に価値が無いとは思っていない。少なくとも自分にとっては、生き甲斐ともいえる。それは相対的なものではなく、どちらかというと絶対的なものである。

運よく人がやったことがない滑降に成功したとき、私は基本的に記録を発表することにしている。それはこれまで登山全般において、他人の記録を参考にして計画を練ったり、記録を読むこと自体を楽しんできたからであるし、書くことが癖になっているからでもある。が、書くことで当然ながら失われるものもある。他人の、個人的な体験としての「初滑降 」 である。

そこが滑られていることを知らずに同じラインを滑った場合、それは初と同等の体験である。歴史的な事実としてそうではないとしても、本人には同じだけ強烈なインパクトを与えるだろう。できるだけ、その余地を残しておきたい気がする。スキーであるならなおさら、クライミングのように残置物が残ることは少ないから、情報があるかどうかの意味は大きい。そして、そのためには発表しないというのも、ある意味真っ当で正しい選択肢のような気がする。

ボルトを探す日々から

しかし、それよりも「初」ではないものを「初」として誤って発表してしまう人が出てくることの害の方が大きいと考えることもできる。もちろん、情報を「断食」することはできるから、別に発表してしまってもなんら問題はないとも言える。これはどこか、既にボルトが設置されているクライミングルートでそれを使わずに登ろうとする、いわゆる「残置無視」に近い気がする。どちらも情報や支点という便利なものがあるのに「敢えて」使わないような印象を受ける。しかし、やはりそれらは視界の端や脳裏にチラついて邪魔になるのではないだろうか。最初からなければよい、必要のない支点(これは解釈が難しい)は無い方が良いし、不要な情報は発表されない方が良いのかもしれない。

降り積もった雪を踏みしめる時、加代は「最初のひとつのぶの雪」のことを想った。大袈裟に言えば、「初」ものの記録というのはこれに応えるものではないかと思う。これはただその人が優れていたからできた行為ではない。時代、時期的なものも関連している。何らかの巡りあわせにより、その人にしかできなかった行為である。後から同じような体験をした人が、そのことを知るための媒体がどこにあっても良いのではないか、というのが私が記録を寄稿する理由かもしれない。

一昨シーズンの初滑りは11月の立山だった

と、まとめてみてから、新雪にたとえられるほどきれいなものだろうか、と疑問に思う。こんなときは人生の師・クラピカさんの言葉に耳を傾けてみようと思う。「コレクターは常に2つのモノを欲している。一つはより珍しく貴重なアイテム。もう一つは自分の収集成果を自慢できる理解者」。コレクターかどうかはさておき、私はとても珍しく貴重な体験を求めている。それと同時にそれを共有したり自慢したりできる他者を求めている。その体験に同じように価値を見出してくれる人を必要としているのだ。つまり、欲望の塊である。

その行為の喜びを知った以上、たとえ共有する相手がいなくてもそれをやるだろうが、そもそも情報がなければ一生のうちにこのような行為にたどり着くことはなかっただろう。それはそれで良いような気もするし、少し残念な気もする。情報が増えて同じ嗜好をもった人が増えれば、競争率は高くなり数少ない残された未知のなんちゃらはすぐになくなるかも知れない。自分だけがこっそり楽しんでいてそれに満足しているというのが、最も身勝手で自然なのかもしれない。

堂津岳の稜線から乙妻山を見る
追記

次号ロクスノで山岳滑降の記事を寄稿させていただく予定です。その原稿をまとめている時に思ったことを、つらつらと書き連ねてみた駄文でした。最後になりましたが、きたる雪の季節が皆様にとって安全で実り多いものになりますように...。