もうすぐ1歳の誕生日を迎える息子に今の心境を聞いてみました。
「vンbン hン」
以上がキーボードを通して伝えられた息子の声です。多少「ヴゥンヴゥン」言っているのが気になりますが、「育ててくれてありがとう」そんな感謝の気持ちがビンビンと伝わってきます。いやぁ、よくぞここまで成長してくれました!父として曲がりなりにも子育てに携わってきたので、喜びもひとしおです。これで来シーズンから心置きなく自分のやりたいことに専念できます!逞しく生きていくんだぞ!
第1段階 夜の授乳が少なくなる頃
「生後半年は、毎日夜中に起こされるので、睡眠不足になります。」
「少しずつ夜中の授乳の間隔があくにしたがって、睡眠時間を取れるようになります。」
「少しずつ夜中の授乳の間隔があくにしたがって、睡眠時間を取れるようになります。」
うちの場合は、約1年経過する今も2~3時間に一度起きて泣いている状況です。私も状況によって週に数回息子と一緒に寝ることがありますが、最終的な解決がママであり授乳である場合が多いので、その場合は寝ている妻の所へ連れていきます。しかし、赤ちゃんの泣き声に対する反応は、母親の方が断然感度が高いので、泣いているのに私は起きず、妻が起きてくるというケースもままあります。睡眠不足が解消されるとずいぶん楽になりそうですね。
第2段階 言葉を話し出す頃
「自分の気持ちを話したり、要望を言えるようになることで泣く回数が減ってきます。」
今のところ周りに人(特にママ)がいない時によく泣きます。とにかく寂しがり屋で「これから大丈夫だろうか」と心配になるくらいママにべったりです。周囲にいる人の数は多い方が良いらしく、実家に帰ったときなどはとても上機嫌です。人が好きみたいですね。私は人がいない山が好きなので、私と違って朗らかで愛される子に育ってくれるかも、と期待しております。
第3段階 ひとりで食事が出来るころ
「離乳食を過ぎ、自分でお茶碗とスプーンを持って食事が出来るようになると、かなり楽です。」
現在離乳食真っ只中ですが、私はごくたまに食べさせる担当です。が、気に入らなかったり、気分じゃなかったりすると全然食べてくれず、結構面倒。味にも好みがあるようで、甘い味のついたヨーグルトなら大体食べます。そのため、スプーンに盛った離乳食をヨーグルトでコーティングして食べさせることもしばしば。重要なのは栄養補給!
第4段階 オムツがはずれるころ
「オムツがはずれると、感動するくらい楽になります。」
早く感動したいですね。うちの子はやや便秘気味で二三日に一回大きいのをしますが、当たり前ながら臭くて大変です。
第5段階 イヤイヤ期が終了
これは最初からこないことを祈ります。
まとめると、4、5歳くらいには確実に楽になりそうですね?私が40歳になるまでは試練が続きそうです。
振り返ると、息子が生まれたのが昨年の4月第二週。その少し前から妻が里帰り出産で実家に戻っており、2月~3月は山放題でした。昨シーズン最後のスキーが4月第一週の五竜岳 Bルンゼ、白岳沢で、翌週平ヶ岳にツーリングと思っていたら大阪に呼び出され、息子と初対面しました。
あれから一年、長いようで短い時間でした。冬の山スキーをメインの活動と位置づけ、それ以外の山は自粛気味にし、冬に可能な限り自由をもらうという方針に基づき、行動してきました。その時間を確保するための戦略はシンプルに2つ。
1.子育てに差し障りない範囲で行う
2.子育ての役割を代わってもらう
2.子育ての役割を代わってもらう
1.では日帰りを基本としたり、泊りがけで出かける時もできるだけ午前中に帰宅するように、1.5日になるように心がけました。具体的にはサクっと午前中までにスティープな斜面を滑れる谷川岳に行ったり、白馬に行く時でも二日目は小日向山にしたりしました。
これまで谷川岳には縁が無く、ほとんど行ったことがありませんでしたが、今年は2度赴きました。一度は早朝から登り始めるも早く着きすぎて、肩の小屋で寒さに震え、マチガ沢本谷を確認するも安全性に疑問が残り、断念。すると対面の四ノ沢をサンライズヒルの「てんちょ」が滑らかに落ちていきました。スプレーの上がり具合、地形的にもこちらの方が安全とみて、この日はシュプールの入った四ノ沢を追随。帰って Facebook 見たら別の人が本谷滑ってました。まぁ、それは仕方がない。そういう日もある。
翌週、今度は初めてのパートナーと暗いうちから改めて本谷を目指した。今度は時間的には良いものの稜線はガスがかかり、再び肩の小屋で待機。そのうちロープウェイアクセスの RSSA お二人が登ってきて歓談する。続いて滑り手や大勢の登山者が登ってきて山頂付近は人だらけに。雪は安定。本谷のドロップポイントで小一時間ガス明けを待つもその日はダメで、そのまま西黒沢を下降しました。どうも天神平は晴れていたらしく、西黒沢はヒャッホーした人のシュプールだらけ。帰って Facebook 見たら RSSA のお二人は一ノ倉沢を滑ってました。まぁ、それは長年の経験と実行力の賜物として、翌日は晴れたというのは何ともやりきれなかった。
これにより精神的な傷を負い鬱となったため、谷川岳からは撤退しました。
その後は長い一日と半日を組み合わせた1.5日山行でそれなりに楽しめましたが、思うような成果は上がらずでした。2年ぶりに不帰2峰を滑れて良かったですが…。
話が飛びましたが、2.は「嫁の実家」これしか無いという無策ぶりではありましたが、3月頭に少し帰省してくれたのが大変な助けになりました。その後も「朝まで生テレビ」をほうふつとさせる妻との激論、裏取引等の末、今シーズンもそれなりの日数を雪山で過ごすことが出来ました。初滑りから数えた日数にして22日。カレンダー通りの土日祝日が約40日なので、半分くらいは山に行けたということになります。
年々減り続ける山行日数に「それでいいのか?おまえの人生 たった一度きりの人生」と自問しつつも、子供はかわいいし、別れても養育費を払えるような財力も甲斐性も全く無いので、「山と子育て」は続きます。