こんにちは。雪が消える前に、今回は急きょ不帰とカネイワとの青春白書の続きを、駆け足でお送りしたいと思います。まずは前回までのあらすじです。
・滑り手としての私にとって「カエラズ」とは不帰2峰東面、通称「キャットフェイス」を指す
・「カエラズ」は毎シーズンそれなりに滑られている
・「カエラズ」は危険な斜面ではあるが、死亡事故は今のところない(はずである)
・かつて北海道でアルペンスキーをやっていた私は、他人に滑られている斜面が自分に滑れないはずはないと意気込んだ
結論から言えば、私はこの斜面を2015年以降3度滑った。2015、17、18年にそれぞれセンター、北峰、南峰を1度ずつである。これは何もその事実を誇るために言うのではない。後述するように、この3回にはどちらかというと誇りよりも恥や後悔の方が多く含まれている。滑降した3回のうち2回もコケているということが、最もシンプルで明快な理由だ。3回という数字についても、21年かけてこの斜面を滑り込んだローカルがいることや(一体何回滑っているんだろう)、ワンシーズンで3回以上滑るようなマッドマンがいることを考えれば、特段誇るべきことでないことはお分かり頂けると思う。
私がそれでもこのテーマについて書きたいと思ったのは、わずかばかりの経験を通じて得た考えや教訓を、何らかの形で残してもいいのではないか、と思ったからだ。
2015年当時、あるいは今、カエラズを滑るということはどういうことなのか。ロクスノ#38には「1994年前後から、白馬における舎川朋弘(カラースポーツクラブ)のパイオニアワークが始まる」とあり、「初滑降記録が雑誌をにぎわせたのは数年前。今では不帰の斜面がトラックで荒れるようになった」とある(2007年12月までの話)。
この頃に比べると、昨今この斜面に何かを懸けるような人は減ったのではないかと思う。初滑降というのは、初登と同じように一種のパイオニアワークであり、そこに価値を見出す人が多少はいるだろうと思うが、ここはもうその舞台ではない。そうなると、あとはどのように滑るかということになると思う。クライミングで、かつて人工登攀で登られたルートが後にフリー化される流れと同じように、スキーでもより良いスタイルで、つまりはノンストップで格好良く(できれば横滑りなんかせずに)滑りたい、という人が出てくるのが自然な流れではないだろうか。
これは1つ目には、過去を繋いでいくと同時にその記録を更新していくという、現代に生まれた我々の宿命であり、もう1つはパイオニアを超えようとする、身も蓋もない言い方をすれば、「あいつより俺の方がすごい(上手い)んだぜ」という自己顕示欲の表出ではないかと思う。この2つ目は、承認欲求と呼んでも差し支えないだろう。
2015年1月30日 センター・逆しの字
自分が付けた記録によると、直近でのまとまった降雪は無く、JANの掲示板はアルパインまで「Moderate」だった。金曜日だったため、人は少なく自分はソロ。12時半前に八方尾根のピークに立つと、キャットフェイスには既に二人の影があった。後に某kyotoskiとカラースポーツの某ガイドであったことが判明する。ファーストトラックを描けない無念と他にも人がいるという安堵感が同居した複雑な心境だった。踏み跡があったためルーファイには苦労しなかったが、それでも八方池山荘から4時間弱かかった(毎回それくらいかかる)。
滑るラインは予め決めていた。キャットフェイスのど真ん中を滑る美しいラインで、万一上部で雪崩たり転んだりしても岩に当たるリスクが少なく、ルンゼに吸い込まれてくれそうな比較的安全?なラインだ。『Further』でJeremy Jones滑ったラインもこれだったと思う。Jeremyの安定したノンストップな滑降、それとYoutubeで見た新井さんの滑りは、この時までに頭に入っていた。滑る時にどんなイメージが頭に入っているのかは重要で、滑走中でも少なからず影響を受けている気がする。
覗き込んだ斜面は思っていたよりやや急で、滑りたかったラインには既にトラックが入っていたが、初志貫徹でこのラインを滑ることに決める。「比較的安全」とは言いつつも上部で転ぶことはできないので、確実にターンを切っていく。「逆しの字」の所でライトに大きく曲がってルンゼに入るのだが、ここの雪面が固くなっており一瞬両板が跳ねた。絶え間なくスラフで磨かれるから、ここは常に硬いのではないかと思う。なんとか耐えてルンゼへ。ここで恐怖から解放され、またルンゼで傾斜が落ちるだろうという希望的観測に基づき、板を縦に落とした。が、ルンゼ内も雪は硬く、傾斜もあり、そして狭かった。数ターンのところでビンディングが解放し、板が両方とも勢いよく流れていった。
板は数メートル下に1本、X状ルンゼをライト側に下りた唐松沢合流手前にもう1本あり、無事回収してその後下山できた。ビンディングの開放値やDynafit Radical STの前レバーを上げておかなかった(アイスバーンで誤開放のあるモデルだった)こと等至らないミスもあり、雪質の読みも甘かった。多少の悔いは残ったものの、恐怖を乗り越えたことでその時は敗北感よりも満足感(安堵感?)が勝っていたような気がする。
2017年03月12日・北峰ゴーストレイトa
次にそこに向かったのは、2017年も3月になってからだった。このシーズンはどのくらいの人が滑ったのかわからないが、1月26日㈭に白馬のガイドたちが一気にカエラズを滑ったのは記憶に新しい。48rider氏によるとこの日7名も2峰を滑ったらしい(3峰C尾根も滑られていた)。ド平日で特に滑ろうと思っていた訳でもなかったので、指を咥えて見ていたのだが、これには心のどこかが刺激されたようで、シーズンも終盤になって焼け木杭に火が付いた。それに、ノンストップでカエラズを滑り切るという当初の目標を、まだ忘れられていなかったのである。
寒の戻りで久しぶりのパウダーとなった週末、土曜日は一日雪を寝かせることにして小谷の里山で慣らし、そのまま八方池山荘へチェックイン。翌日朝一で2峰に向かうことにした。日程に余裕があれば視界悪化やフラットライトが避けやすいこの方法がベストで、この時は10時前にドロップすることができた。この時のラインはまだ滑ったことが無いという理由で北峰。そのうち最も地形の罠、スラフが避けられそうな比較的安全?なラインを選択した。
何のトラブルも無かった旅行があまり印象に残らないのと同じ様に、この日のことはあまり脳裏に残っていない。Xの交差点に入ったあたりで太ももはヨレヨレだったが、なんとか2分半かけて上から下までこの斜面を滑り切った。疲れ切って唐松沢の真ん中に倒れ込んだ時に思い出したのは、少年時代にアルペンスキーでポールをくぐっていた頃のレース終盤のことだった。
2018年02月9日・南峰オープンb
ここで止めておけば良かったと今では思うものの、ピーカンの日を選んで有休を取った私は、53さんと南峰で滑走準備をしていた。この日は2峰を滑るパーティが他にも2パーティ、合計3パーティ8名もいた。意思決定のプロセスをよく覚えていないが、最終的に南峰を滑ることに決めた。この時私に脳裏にあったのは、やはりカラースポーツの布施さんが大きな弧を描いて滑り落ちていくノースフェイスの動画、そしてumatelevisionの林さんと思われる動画であった。
南峰の斜面は出だしこそ急だが、中間部は40°ちょっとくらいまで傾斜が落ち、また片斜面を広く使うことができる。そしてこの中間部によく雪が溜まっているらしい(この時もそうだった)。見れば見るほどボード向きな斜面のように見えてくる。ほとんど緊張感は無く、一番高い所から板を下に向けて突っ込んだ。最初数ターンは微妙にパックされていたが、スキーヤーズライトに入った途端にどパウに。一気にスピードに乗り、当て込むように思い切り踏み込んだ瞬間、谷足が雪につかまり転がった。アルペンのスラロームで片反(片足反則通過)くらった時のように、その瞬間まで全く転ぶイメージが無かった…。
10mくらい上方にある板目指して片足スキーでフルラッセルし登り返す。板を回収し、上がった心拍数を整えて再びターンを切る。今度はレフトへ大きくトラバースし、核心の段差へ。ここの雪が微妙に腐っていて、また思っていた以上に傾斜があるため、結構悪い(上記ノースフェイスの動画もそうだが、この部分を省略している動画が多い)。下の崖も対岸から見て想像していたより高さがあるため、失敗はできない。慎重にこなして唐松沢に降り、後に53さんや別パーティの3人も合流した。
結びにかえて
翌日の土曜日、帰りの車の中で私は一人むせび泣いていた。中年のおっさんのどこにこういう感情や涙が残っていたのかと思うように、堰を切ったように感情が溢れ出していた。単純に私は悔しかったのだと思う、できるはずのことができなかったことが。
この時襲われた悔しさというのは、自分でも驚くほど、かつてアルペンスキーの大会で敗れた時のものに似ていた。それは行為そのものが、スラロームにおける転倒の状況に似ていたせいもあるかも知れない。その頃は他者との競争であったため、悔しさの根源に曖昧なところがあった。しかし、今はそれが他人に負けたことによるものではなく、ただ純粋に自分に対する悔しさであったと知ることができた。同時に、私がその頃から大して成長していなかったこと、また根幹に同じような感情や衝動を抱えていたことを知ることができた。
不帰での経験を通じて、私は幼少の頃の自分にたちかえることができた、ということで、全然まとまっていませんが、とりあえずの結びとさせて頂きます。
あと、付け足しになってしまいますが、勝手ながらこのブログの中で何人かの滑り手に触れています。あくまで個人史なので、全く網羅的ではないし、私が知らない「滑りたち」の方が多いでしょう。触れた人の中でも、個人的に面識がある人もいれば、いない人もいます。それぞれに動機があり、経験があります。そう考えると、どこかで勝手にシンパシーを感じてしまいます。
カエラズでの経験が、これからの人生を豊かにしてくれることを願って...。
以下、気づき事項です:
・山荘からドロップポイントまでだいたい4時間はかかる
・キャットフェイスの雪質はかなり様々でパウダーだけではない(カリカリも出てくる)
・なので安易にスピードを出し過ぎない方が良い
・世の中には新たな発想でこの斜面に挑む人もいる
・GoProはヒューマンファクターを高める
・スキー板のセンターは110~120、長さは180以上で、ロッカー形状はほしい
・影響される人は動画を見過ぎない方が良い
・滑り手としての私にとって「カエラズ」とは不帰2峰東面、通称「キャットフェイス」を指す
・「カエラズ」は毎シーズンそれなりに滑られている
・「カエラズ」は危険な斜面ではあるが、死亡事故は今のところない(はずである)
・かつて北海道でアルペンスキーをやっていた私は、他人に滑られている斜面が自分に滑れないはずはないと意気込んだ
2016年2月11日。下から見上げた不帰2峰東面 |
結論から言えば、私はこの斜面を2015年以降3度滑った。2015、17、18年にそれぞれセンター、北峰、南峰を1度ずつである。これは何もその事実を誇るために言うのではない。後述するように、この3回にはどちらかというと誇りよりも恥や後悔の方が多く含まれている。滑降した3回のうち2回もコケているということが、最もシンプルで明快な理由だ。3回という数字についても、21年かけてこの斜面を滑り込んだローカルがいることや(一体何回滑っているんだろう)、ワンシーズンで3回以上滑るようなマッドマンがいることを考えれば、特段誇るべきことでないことはお分かり頂けると思う。
私がそれでもこのテーマについて書きたいと思ったのは、わずかばかりの経験を通じて得た考えや教訓を、何らかの形で残してもいいのではないか、と思ったからだ。
2015年当時、あるいは今、カエラズを滑るということはどういうことなのか。ロクスノ#38には「1994年前後から、白馬における舎川朋弘(カラースポーツクラブ)のパイオニアワークが始まる」とあり、「初滑降記録が雑誌をにぎわせたのは数年前。今では不帰の斜面がトラックで荒れるようになった」とある(2007年12月までの話)。
パイオニアのイメージ |
この頃に比べると、昨今この斜面に何かを懸けるような人は減ったのではないかと思う。初滑降というのは、初登と同じように一種のパイオニアワークであり、そこに価値を見出す人が多少はいるだろうと思うが、ここはもうその舞台ではない。そうなると、あとはどのように滑るかということになると思う。クライミングで、かつて人工登攀で登られたルートが後にフリー化される流れと同じように、スキーでもより良いスタイルで、つまりはノンストップで格好良く(できれば横滑りなんかせずに)滑りたい、という人が出てくるのが自然な流れではないだろうか。
これは1つ目には、過去を繋いでいくと同時にその記録を更新していくという、現代に生まれた我々の宿命であり、もう1つはパイオニアを超えようとする、身も蓋もない言い方をすれば、「あいつより俺の方がすごい(上手い)んだぜ」という自己顕示欲の表出ではないかと思う。この2つ目は、承認欲求と呼んでも差し支えないだろう。
2015年1月30日 センター・逆しの字
自分が付けた記録によると、直近でのまとまった降雪は無く、JANの掲示板はアルパインまで「Moderate」だった。金曜日だったため、人は少なく自分はソロ。12時半前に八方尾根のピークに立つと、キャットフェイスには既に二人の影があった。後に某kyotoskiとカラースポーツの某ガイドであったことが判明する。ファーストトラックを描けない無念と他にも人がいるという安堵感が同居した複雑な心境だった。踏み跡があったためルーファイには苦労しなかったが、それでも八方池山荘から4時間弱かかった(毎回それくらいかかる)。
滑るラインは予め決めていた。キャットフェイスのど真ん中を滑る美しいラインで、万一上部で雪崩たり転んだりしても岩に当たるリスクが少なく、ルンゼに吸い込まれてくれそうな比較的安全?なラインだ。『Further』でJeremy Jones滑ったラインもこれだったと思う。Jeremyの安定したノンストップな滑降、それとYoutubeで見た新井さんの滑りは、この時までに頭に入っていた。滑る時にどんなイメージが頭に入っているのかは重要で、滑走中でも少なからず影響を受けている気がする。
覗き込んだ時の写真 |
覗き込んだ斜面は思っていたよりやや急で、滑りたかったラインには既にトラックが入っていたが、初志貫徹でこのラインを滑ることに決める。「比較的安全」とは言いつつも上部で転ぶことはできないので、確実にターンを切っていく。「逆しの字」の所でライトに大きく曲がってルンゼに入るのだが、ここの雪面が固くなっており一瞬両板が跳ねた。絶え間なくスラフで磨かれるから、ここは常に硬いのではないかと思う。なんとか耐えてルンゼへ。ここで恐怖から解放され、またルンゼで傾斜が落ちるだろうという希望的観測に基づき、板を縦に落とした。が、ルンゼ内も雪は硬く、傾斜もあり、そして狭かった。数ターンのところでビンディングが解放し、板が両方とも勢いよく流れていった。
板は数メートル下に1本、X状ルンゼをライト側に下りた唐松沢合流手前にもう1本あり、無事回収してその後下山できた。ビンディングの開放値やDynafit Radical STの前レバーを上げておかなかった(アイスバーンで誤開放のあるモデルだった)こと等至らないミスもあり、雪質の読みも甘かった。多少の悔いは残ったものの、恐怖を乗り越えたことでその時は敗北感よりも満足感(安堵感?)が勝っていたような気がする。
なお、私が滑る小一時間前に同じラインを滑走したkyotoskiは、足元から雪崩れたらしい。
2016年は一度も滑らなかった。正直、「一度滑れば十分だろう」というのもあったし、「生き急ぐことも無いだろう」というのもあっただろう。距離を置きたかった、と言えば猫様も理解してくれるだろう。雪の少なかった2016年の1月17日、Dルンゼのドロップポイントで、さらに奥に行くジョニーさんの後ろ姿を見送った。「もしかしたら彼を見るのもこれで最後かも知れないなあ」と思いながら(もちろん、生きて帰って来た)。
唐松を越える時に顔が引きつる私とパートナー |
寒の戻りで久しぶりのパウダーとなった週末、土曜日は一日雪を寝かせることにして小谷の里山で慣らし、そのまま八方池山荘へチェックイン。翌日朝一で2峰に向かうことにした。日程に余裕があれば視界悪化やフラットライトが避けやすいこの方法がベストで、この時は10時前にドロップすることができた。この時のラインはまだ滑ったことが無いという理由で北峰。そのうち最も地形の罠、スラフが避けられそうな比較的安全?なラインを選択した。
何のトラブルも無かった旅行があまり印象に残らないのと同じ様に、この日のことはあまり脳裏に残っていない。Xの交差点に入ったあたりで太ももはヨレヨレだったが、なんとか2分半かけて上から下までこの斜面を滑り切った。疲れ切って唐松沢の真ん中に倒れ込んだ時に思い出したのは、少年時代にアルペンスキーでポールをくぐっていた頃のレース終盤のことだった。
2018年02月9日・南峰オープンb
ここで止めておけば良かったと今では思うものの、ピーカンの日を選んで有休を取った私は、53さんと南峰で滑走準備をしていた。この日は2峰を滑るパーティが他にも2パーティ、合計3パーティ8名もいた。意思決定のプロセスをよく覚えていないが、最終的に南峰を滑ることに決めた。この時私に脳裏にあったのは、やはりカラースポーツの布施さんが大きな弧を描いて滑り落ちていくノースフェイスの動画、そしてumatelevisionの林さんと思われる動画であった。
南峰の斜面は出だしこそ急だが、中間部は40°ちょっとくらいまで傾斜が落ち、また片斜面を広く使うことができる。そしてこの中間部によく雪が溜まっているらしい(この時もそうだった)。見れば見るほどボード向きな斜面のように見えてくる。ほとんど緊張感は無く、一番高い所から板を下に向けて突っ込んだ。最初数ターンは微妙にパックされていたが、スキーヤーズライトに入った途端にどパウに。一気にスピードに乗り、当て込むように思い切り踏み込んだ瞬間、谷足が雪につかまり転がった。アルペンのスラロームで片反(片足反則通過)くらった時のように、その瞬間まで全く転ぶイメージが無かった…。
南峰は下部が核心 |
10mくらい上方にある板目指して片足スキーでフルラッセルし登り返す。板を回収し、上がった心拍数を整えて再びターンを切る。今度はレフトへ大きくトラバースし、核心の段差へ。ここの雪が微妙に腐っていて、また思っていた以上に傾斜があるため、結構悪い(上記ノースフェイスの動画もそうだが、この部分を省略している動画が多い)。下の崖も対岸から見て想像していたより高さがあるため、失敗はできない。慎重にこなして唐松沢に降り、後に53さんや別パーティの3人も合流した。
結びにかえて
翌日の土曜日、帰りの車の中で私は一人むせび泣いていた。中年のおっさんのどこにこういう感情や涙が残っていたのかと思うように、堰を切ったように感情が溢れ出していた。単純に私は悔しかったのだと思う、できるはずのことができなかったことが。
この時襲われた悔しさというのは、自分でも驚くほど、かつてアルペンスキーの大会で敗れた時のものに似ていた。それは行為そのものが、スラロームにおける転倒の状況に似ていたせいもあるかも知れない。その頃は他者との競争であったため、悔しさの根源に曖昧なところがあった。しかし、今はそれが他人に負けたことによるものではなく、ただ純粋に自分に対する悔しさであったと知ることができた。同時に、私がその頃から大して成長していなかったこと、また根幹に同じような感情や衝動を抱えていたことを知ることができた。
広大な唐松沢 |
不帰での経験を通じて、私は幼少の頃の自分にたちかえることができた、ということで、全然まとまっていませんが、とりあえずの結びとさせて頂きます。
あと、付け足しになってしまいますが、勝手ながらこのブログの中で何人かの滑り手に触れています。あくまで個人史なので、全く網羅的ではないし、私が知らない「滑りたち」の方が多いでしょう。触れた人の中でも、個人的に面識がある人もいれば、いない人もいます。それぞれに動機があり、経験があります。そう考えると、どこかで勝手にシンパシーを感じてしまいます。
カエラズでの経験が、これからの人生を豊かにしてくれることを願って...。
以下、気づき事項です:
・山荘からドロップポイントまでだいたい4時間はかかる
・キャットフェイスの雪質はかなり様々でパウダーだけではない(カリカリも出てくる)
・なので安易にスピードを出し過ぎない方が良い
・世の中には新たな発想でこの斜面に挑む人もいる
・GoProはヒューマンファクターを高める
・スキー板のセンターは110~120、長さは180以上で、ロッカー形状はほしい
・影響される人は動画を見過ぎない方が良い
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