脱子育てに奮闘中のカネイワです。
子育ての合間に隙を見て家を抜け出し、山に行くにはどうすればいいか、というのが現在最もホットなテーマであり、本稿の内容です。
前回は「なぜ子育て中に山に行くのか」という世間からの厳しいまなざしに対する言い訳に終始しました。
その反省を踏まえ、今回はより科学的な見地から、具体的な方法を書きたいと思います。
子育てが大変な理由
子育てが大変な一番の理由は、家庭において子育てをする人員が不足しており、その負荷が夫婦(主に母親)に集中していることが原因と思われます。
現代においては、母親の産後うつ発症例は一般的なうつの5倍以上、7割が子育てで孤立し、不安や孤独を感じているそうです。
核家族化により、子育てを手伝ってくれる人が夫しかいないにもかかわらず、その夫も欧米の先進国に比べ労働時間が長く、子育てを十分にサポートできていない現状があります。
そもそも人間は、1人で子育てできるようにはできていないそうです。
人類に比較的近いチンパンジーは、母親がマンツーマンで子育てをしますが、そのため5年に一度しか出産できないそうです。人間が出産後にそう時間をあけずに妊娠できるのは、共同養育がその前提にあるのではないか、と推測されています。
夫に対するイライラ
子育て世帯において、離婚が最も多い時期は子供が0~2歳の間だと言われています。
オキシトシンには、母親の子供への愛情を深める一方、子供以外には攻撃性を高める効果があるそうです。これは自分の子供を守るためであり、そのため、育児に非協力的な夫に対しては攻撃的になります。
反面、子育てに協力的な夫は妻の助けになり、子育て中の妻をリラックスさせることもできるという側面もあるようです。やはりイクメンニーズは強いようです。
また、夫も育児に参加することにより、父性が刺激され、オキシトシンの分泌が増えるそうです。オキシトシンにより、他の女性への反応が薄まり、浮気を抑制する効果もある、なんていう研究結果もあるそう。
第二の?乙武さんにならないため、夫婦円満のためにも子育ては有効なようです。
ここまで書くと、子育てをしない理由が無いというか、進んで子育てすべしという結論になりそうですが、、、
子育てからの脱出
さて、本題です。
いかにして子育てから離脱して山に向かうか、いや、山と子育てを両立するか、私がミニマルな脳で考えたのは、非常に単純な2つの方法です。
1.子育てに差し障りない範囲で行う
2.子育ての役割を代わってもらう
1.の具体例として、1ヶ月の間に朝練を数回行いました。朝4時過ぎに家を出て、首都圏内の岩場に向かい、シングルピッチを数本登るというものです。
私の場合、地理的、時間的な関係上、御岳ボルダ―とか日和田山とかになります。
今回は梅雨時1.5ヶ月の間に日和田山へ2回向かいました。
平山ユージがクライミングを始めた?歴史と伝統のある日和田山!と言えば聞こえはいいですが、エリアは狭く(課題も少ない)、それが雨の影響で濡れていたり、蚊だらけだったり、と決して快適ではありません。
が、それでも自然の中にいるというのは素晴らしいと再確認しました。
また、そのまま会社に出勤したり、午前中には帰宅するため、子供が起きている時間への影響が少なく、子育てへの負担は最小限に抑えられます。
次に2.について、
父親が子育てをすることによるプラス面があるとはいえ、猿人からの伝統で男性はそこまで子育てをしてこなかった(だろう)。
現在イクメンが求められているのは、夫が育児をすると良いからではなく、子育て要員が足りないからです。
とすれば、誰かに代わって頂ければ再び野に出ることができるのです。
お金があれば、ベビーシッターにお願いする選択肢もあるのでしょうが、そんな甲斐性の無い私を救ってくれたのは妻の家族でした。
久しぶりの花崗岩、仲間と囲む夜の焚火は相変わらず素晴らしい時間を与えてくれました。
早く子供が成長して、一緒に遊べるようになればいいのに、、、
まだまだ先は長いですね。
2.については、あくまで皆様にご厚意により成り立っているものです。
ヒューマンスキルの低い私としては、知略を用いて誰かをベビーシッターに仕立て上げ、まんまと出かけるなどということはできません。
「お宮参りだ!」「お食い初めだ!」
と騒ぎ立てて誰かを呼び込み、自分はその場にいない、というような卑劣なこともできません。
あくまでも運と他人任せで、辛うじて外出を許されるような感覚です。
このような戦略が他のママに通用するかはわかりませんが、今後も細々と続けてまいろうと思います。
子育てとリスク
繰り返しになりますが、男は冒険を好む生き物です。
かつて男には、敵が巣穴に来たら追い払う、食べ物をたくさん持って帰る等の役割があったのでしょう。現代において我々が野山を好むのもこれと無関係ではありません。
男性に子育てが求められる時代、それに合わせて世の中に適応していくのか、野生を発揮して野山を駆けずり回るのか、
今選択が迫られています。
…。
話は少し変わりますが、子供が生まれる前と生まれた後では、リスクの取り方が大きく変わるのではないかと思います。
目玉は Tommy Caldwell と Alex Honnold による Fitz Roy の縦走なのですが、2人の姿に異なる男性像を見たような気がします。
Tommy が幼い子供を抱える一方、Alex は独り身で傍目から見るとリスクの高いクライミングを続けている。
同時期に読んでいた Alex の本の中で、交際相手との話が出てくるのですが、そこには常に大事な人を想う心と冒険心が葛藤しています。そして、Alex はまだどちらかというと、自分のクライミングを優先しているようです。
妻と子供がいるTommy の場合はより深刻です。
死ぬかもしれないクライミングをすることを自分勝手だと捉え、葛藤しています。
山に行き、冒険的なことをすることで
「自分自身である」と感じられる。
息子には、恐れているだけでは見られない世界を見せたい。
大きな夢を見つけ、それに向かっていく姿勢を身につけてほしい。
山に行き、冒険的な経験をすることと
安全に行動することは両立すると確信している。
フィッツトラバースが終わり、忘れえぬ山となったが、
今回は安全の境界線を越えてしまった気がする。
父親として、このようなクライミングが
本当にそれだけの価値があるのか、と考えてしまう。
どのようにして冒険的なことをしていくのか、リスクの見積り方を研ぎ澄まし、その取り方も変化させていく必要があるのかも知れません。
やっていることの次元は違い過ぎますが!!!
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