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2020年11月1日日曜日

Vol,201 ルート名 一念 グレード WI5+R M4 130m ストームクリークヘッドウォール クートニー国立公園

 雑記、



昨日、友人と未登の氷を登りにいく機会があった。

バンフの町で朝の気温は−23度、体感気温は−28度。山はもっと冷えていたに違いない。
このような状態は氷にとって良くない状態で乾燥した冷気が氷から水分を吸収して脆く弱い氷を形成する。
冷凍庫に氷を長く放置していたら小さくなりやがてなくなるのと同じ原理だ。
カナダでアルパインガイドとして五年、スキーガイドとして2年、雪や氷について勉強をかさね、賢くなり、危険を遠ざける作業を毎日のように繰り返していると、山と言えどいつの間にかある程度、安全な中で自分の限界にトライしていることを忘れがちになる。
安全な中で何かを挑戦することは素晴らしい。だがそれはルールに守られたスポーツに近い部分も否めない。
先日、また別の友人が作った本を読む機会があり、その中に冒険家の田中幹也さんの一節で、山を登ることだけに集中してると天気やコンディションの良い時を選んで山に行く、それが良いとは限らないと。彼は悪天や厳しい状態が山本来、自然本来の姿を感じることができるのでそれを選んでやっているというような言葉があり、衝撃を受けた。
ああ、これはまさに俺のことだなと、いつもより、危険が多い状態でトライするのは馬鹿げていると。
そして忘れかけた感覚を思い出させてくれた。
10〜20代、穂高の山小屋で過ごしていた時のことを思い出した。その山に住み、その山を守っていくことに見せられた人たち(小屋番)に憧れ、冬も山小屋で働き、年間300日以上標高2300m以上に暮らしていた。
木の一本一本、草花や、岩の場所、雪の降り積もり方など、全てを覚え、自分の家のように、その山をもっと知りたいと思って暮らしていたことを思い出す。
その中で自分がその山域を一番知っていたいと思っているのにアルパインクライマーが冬の穂高を当時の自分より知っていることに恥ずかしさを覚え、小屋番の先輩に連れられ冬山に入り、厳しさ、美しさに身震いした。
クライミングを覚え、滝谷を登った時、穂高は新しい表情を見えせてくれた。
スキーをするようになり、まだ山小屋が開いていない早春の涸沢に滑り込む喜びを知った。
いい時も悪い時も全てを感じていたあの頃。
グレード追い、スタイルを洗練させ、一見ハイレベルに登り滑っているように見えても、ただ良い時だけを選んで山に行っているなんて、全然山を見ていないなと感じた。
そう自分はただもっと山を知りたかっただけだったんだ。
カナディアンロッキーをもっと知りたい、もっと感じたい、誰も見たことのない景色が見たい。
そういう気持ちを忘れていた。
準備を済ませ、凍てつく寒さの中、雪をかき分けアプローチこなす。
案の定、氷は状態が良くない。ひとつ間違えれば怪我では済まない。友人と話し合い、慎重に登っていく。
その中には間違いなく忘れかけていたものが戻ってくる感覚があった。
登り終え稜線に出る。北壁特有のトップアウトするとそこには陽の光があった。
未知の領域を進み、登り切る喜び。
どれだけ小さな壁でもこのような気持ちにさせてくれるアルパインクライミングという行為。
僕は命をかけ、冒険的な山に登ることがいいとは思わない。
だが、それこそが登山の原点であり、山を知る、感じる方法の一つということに疑う余地はない。
もしいつか自分ができなくなったとしても、山を生業にしている以上、その行為を、そしてそれに命をかける人間を理解できる人間でありたいと常に思う


谷 剛士