チーム「Link∞UP」は日本と北米の‘愉快で有益な’「マウンテンライフ」情報を日本と英語圏において共有をすること。 その生活を‘一生懸命楽しんでいる人達’のコネクション強化を図ることを目的に活動しています。 日本や北米でのマウンテンライフについて情報の欲しい方や私達に興味のある方はお気軽にご連絡下さい。

2019年1月31日木曜日

Vol.159  1839峰 a.k.a ザンク!

こんにちは。星野です。
今冬は初雪も遅く、日本各地で少雪となっている様ですね。北海道も例外では無く最近まで雪が少ない状況が続いていました。しかし、ようやくここ最近いい感じになってきた様に思います。僕は今シーズンも相変わらず、スキーにアイスにと短い冬を楽しんでいます。

今回は毎年恒例の正月山行。今年は日高山脈1839峰を目指しました。
1839峰は昨年の正月に登ったカムイエクウチカウシ山以南の最高峰で、特徴のある山容はどこから見てもひときわ目立って美しく、四方に切れ落ちた山頂からの展望もすばらしい山です。かつては日高でもたどり着くのが困難な山の一つで、北海道の岳人の憧れのピークでした。山名は無く、古い計測結果による標高が山名として定着し、近年は地形図にも正式に採用されています。略して「ザンク!!」なんて呼ばれています。響きがかっこいい!

今回は3泊4日の行程で入山しました。僕は夏に1度登って以来2度目の挑戦でした。結果から言うと登頂日に風が強く、天気も悪かった為、途中のヤオロマップ岳で引き返し、登頂は出来ませんでした。やはり予備日が無い一発勝負では、なかなか登らせてはくれませんね~
1日目。朝からピーカン。雪が少ないコイカクシュサツナイ川を行きます。今年は全然雪が無くスノーシューも使わずにあっという間にコイカク尾根取り付き地点。

2日目。今回の正念場コイカク尾根。尾根取り付きから標高差1069mの急登です。スノーシューは履いたもののこの笹薮。でも笹がいい感じにスノーシューの爪に引っかかってくれて意外と登りやすかった様な気がしたのは僕だけか?

2日目、3日目の夜を過ごした稜線上のテン場。雪庇を切り崩し、整地して何とか2張。防風壁も作れて快適なテン場になりました。


3日目。いよいよ「ザンク!」に向けて出発。稜線上は這松が出てました。こういった時はスノーシューが有効ですね。

 そして引き返しを決めたヤオロマップ岳。残念ですが、自然に逆らうとろくな事が無いので潔く。寒かったです。



そして下山日は十勝晴れ!「ザンク!」に登れなかったのは残念ですがまた次回。この景色が見れただけで良い山行だったと思える瞬間でした。寒かったけど立ち止まり、暫く見惚れてしまいました。

「ザンク!」「ザンギ!」北海道は良い国です!

2019年1月21日月曜日

Vol.158 カナダのドライツーリングのチッピング、そしてチョークによるマーキングについて考える


久しぶりです。谷です。というかあけましておめでとうございます。年明けのガイドの繁忙期が終わったかと思いきや。なんかハリウッドの仕事?をする羽目になり、急遽先週の当番をどろどろスキーヤー兼岩に変わっていただいた形です。カズキほんまありがとー。死ぬほど忙しい二週間が終わり、ようやく普通のアイスガイディングに戻ってるところです。いやー日本でもCMや映画の仕事したけどハリウッド、金持ってますね。ミーハーなんで感動しました。

なんてことしているうちに、書くこと考えてたんですが、12月のアルパインクライミングの記録や今年発売のギア(ノミック、BDウルトラライトスクリューなど)をぶっ壊したりしまくったのでそれについてだとか、前に残した宿題の登山やガイド資格に対する補助金や奨学金など、色々書くことあるんですが、日本の忍者返しの一件を読んで、カナダでも沸き起こっている、ドライツーリングやミックスクライミングのチッピングやチョークでのマーキングについて書いてみようかなと思います。

かなり私見が入るので読みたくない人は、ここでやめた方がいいかもですし、読む人も気楽に読んでもらえたらと思います。

日本で今、問題が起こっているチッピング、グルーイングなど、自然にある課題を人工的に変えるという行為はこのカナディアンロッキーでも90年代まで普通に行われていました。また、それにより、強いクライマー(特にミックス)が生まれたという事実は一応歴史として知っておいていいと思います。ただ、今のこの地域の共通的な考え方は基本夏のクライミングに関してはチッピングはなし!ということですね。わかりやすい。

色々理由はありますが、遠くまで岩場に行く時間もお金もない、ジムないとこに住んでる、もっと難しいものに登りたい、または有名な課題を登りたい(でもみんなが使ってホールドがズルズルだから最初の形にするためにホールドを荒くする)などありますが、
やっぱりだめです。じゃあなたクライミング以外、別のことやればいいでしょって話なんで。クライミング以外にも楽しいことたくさんあるし、所詮は何も生み出してない遊びですから。遊びのために死ぬ必要もないし、遊びのために他のもを傷つける必要もない。ジムが近場になく、岩場に行くお金や時間ないというなら、働く、もしくはその中でできることすればいいじゃんって話です。
ちなみに日本って相当恵まれてますよ。カナダの真ん中の州マニトバなんかに生まれたら
クライミングエリアまで1500キロほど離れてますから。
他の平〜な大陸に生まれた人のこと考えたら文句なんて言えないですよね。

もうこれを話し出したら、世の中なんでこんななの?俺の思い通りになれと言ってるようなものでしょ。自然にあるものを、楽しませてもらっているわけですから、極力何も足さない、引かない。これ別にクライミングに限ったことじゃないです。僕の知り合いの女性が忍者返しの一件について、このような発言をしてて

「自分の娘が将来忍者返しをトライすることはもう永久的にできないと、人の手が加えられたことによってもうあれは忍者返しではない」

という趣旨を言ってたのが心に響きました。

本当に悲しい言葉だなと、クライミングが生涯スポーツと言われる時代、自分の子供たちとその喜びや大変さを共有できないというのはもうほんと、ダメです。そして一部の強強クライマーだけでなく、初中級者の意見や発言する場所もしっかり作らないといけないですよね。山はみんなのものですから(次の世代を含めて)。

さて、ここまではいいとして(ここまでですでに疲れたね。)ここカナダでも冬(アイスアックスとアイゼンによるスポーツドライツーリング)については曖昧な形でした。なぜなら、まずやる人口が圧倒的に少ない、そしてロッキーの岩質がドライツーリングに適していなかったこと、なのにもかかわらずアイスには非常に適していてアイスクライミングのメッカであることなどが挙げられます。またドライツーリング自体、自然の岩を引っ掻いている行為に等しいので、なんとも言えないですよね。やはりロックの方が岩に優しいのは間違いない。

ロッキーの岩質はほとんどが石灰岩で、石灰岩はご存知の通り、海の堆積(サンゴ礁みたいなイメージ)からできており、ミクロの穴が無数に空いており、脆く、急傾斜の岩場が多いです。そして染み出しがすごいです。その染み出しのおかげで冬アイスがどこからかできてきて楽しく登れる寸法な訳ですね。

ただ当たり前ですが、クラックなどの摂理は少なく、ナチュプロで登れるかというと、ほとんどがボルトになってしまいます。さらに摂理が少ないということはフッキングする場所がなく、かなりの数(特にゲレンデ)がドリルによって作られたものになってます。

え?じゃボルトはどうなのって話ですが、カナダはバリーブランチャード(キャンモア在住)パタゴニア初代アルパインアンバサダーの意見が結構、アルパインクライマーには浸透していて、確か2007年のバンフフィルムフェスティバルでの会合で強く述べてますが、もしアルパインの壁で、自分の実力では登れないブランクセクションがあったら俺は登らないと。それは次世代のために残しておくべきだと。そうこうしてるうちに自分のプロジェクトだったマルコ・プレゼリとスティーブ・ハウスが冬のノース・ツウィン登っちゃったよね(笑) みたいな。

未だにそういう経緯を知らないクライマーがボルトをうち足したり、ガイドが安全のためやガイドしやすいために、(特にラペル)打ち足してます、これに関しても議論は尽きないですが、(やはりよくない)脱線が半端ないので戻します。

ボルトないからってこれは無理でしょ。って話。

そして今回カナダで起こった議論の発端は、エルドラドという、キャンモアから車で15分のグロットマウンテンにあるドライツーリングゲレンデで起ったもので、ウィル・ガッドというレッドブルクライマー(キャンモア在住)がエルドラドのあるルートにおいてフッキングする場所に赤のマークをつけてレッドポイントをトライしていたところ、ここの岩場を開拓した一人ラファエル・スワロンスキー(カルガリー在住)ピオレドールクライマーがそれに対して発言したのが始まりです。

もちろん彼らは友達で同じBDアスリートでもあるのですが、畑が違う。同じ超高難度のクライミングをしますが、ラフはアルパインクライマーでウィルはコンペクライマー。違うアプローチで世界を牽引している彼らの意見にみんなが注目してました。

ラフの最初の発言はエルドラドという岩場はなるべく、ナチュラルなフッキングができるルートしか開拓していない。そしてアルパインクライマーのトレーニングになるようにマーキングをして欲しくない、スタンレーヘッドウォールでチョークの跡、見たことないでしょ?という趣旨でした。

それに対してマーキングした、ウィルの言い分はこうでした。

1.ドライツーリング(特に高難度は)非常にオンサイトが難しい。
2.ハンドホールドに比べてフッキングが非常に小さい。
3.手を使わずピックなためなのとブラインドのホールドをフックするのが極めて困難。
4.エルドラドはゲレンデであること(アルパインクライミングではない)


これやった人しかわからないのですが、僕このウィルの言い分よくわかります。
ピックには神経通っていないので、一撃を狙ってる場合本当に難しいですよね。

またラファエルも元々あったフッキングスポットを壊さないため(クライミングエリアやルートを守るという考え方の元)のチッピングについては
容認しているスタンスでした。これは初心者がそのエリアに行ってドライツーリングした場合、結構な確率でホールドや足の置き場を壊すので、それを防ぐために少し穴を大きくしておくということです。

でもその後、色々な意見が飛び交いましたが、まず開拓者であるラフが、エルドラドに数々のヨーロッパクライマーを連れてきていることに言及し、(ヨーロッパは残念ながらドラツーはチッピングのゲレンデが多い。)そのほとんどがマーキングの跡、またはドリルホールドがないことに感激していたそうです(特にスコティッシュクライマーのグレッグ・ボズウェルとフレンチクライマーのジェフ・マーサー)。そして彼らはそのほとんどをオンサイトして帰ったようです。

さらにハフナーやリアルビックドリップなど、先人たちは、チッピングしなくても登れるラインにしかボルトを打たなかったと。ロッククライミングと一緒ですよね。(ただ、これに対してもボルトはいいのって意見もある)それを踏まえた上で、マーキングがなくて登れる、ドリルホールドがなくても登れるならそれが一番いいよねということでこの論争も落ち着く方向のようです。なので今あるゲレンデは今後も維持されますが、今後は新しいチッピングによってドライツーリングのエリアができることはないでしょうね。


もともとウィルとラフは仲良しなので、まあカナダトップクライマーの意見がみんな聞けたのは良かったですよね。結局のところチッピング、岩を汚すマーキングを残す行為など、自然に対して山をやらない人が見ても傷つけたり、汚す行為は良くないですし、クライマーとしても自分以外の人がそのルートをトライするのを邪魔します。


ボルトないからってこれは無理っしょ2

日本も海外の素晴らしいクライマーを平山ユージさんたちがアテンドしたりしていますが、やはり一番いい日本の岩場に連れて行ってあげたいと思うのではないでしょうか?自分の大切な人をクライミング連れて行くときにチッピングしたルートに連れて行きますか?最初に戻りますが、これも一つの答えにならないでしょうか?チッピングのルート登りたいなら、そのルートに行きましょう。そこには歴史が詰まってます。ですが、今、登れるものをチッピングする必要性はやはりどう考えてもないのではないでしょうか?

こうやって他の国でも同じような問題が起こっていること、「知る」ということはとても重要なことかもしれませんね。

自分だけじゃなく、他の人の可能性を削いでしまうチッピングという行為。1000年後の進化した人類なら今、不可能な課題も登ってしまうかもしれないですね。ただ人類のせいでそれまで地球があるかわからないですが(苦笑)。

ではオチがついたところで、また次回。




2019年1月16日水曜日

Vol.157 八方尾根・今年の積雪状況

今週のブログ担当・谷が多忙につき、二週連続でカネイワがお届けします。連続して山スキーの話題になってしまいますが、何卒お付き合いくださいませ。ところで、前回書き忘れてしまったのですが、私は昨年11月末、シーズンの目標だった「5.12a」を一本(ようやく)登れました!という訳で、今は気分を切り替えてスキーを楽しんでおります。12aがようやく登れた話は、また雪が少なくなって話題に困る頃に報告させていただきます。

八方尾根から見た白馬三山(鑓は左に隠れてます)19/1/13撮影

さて、去る3連休(うち土日の2日間)、白馬に行って参りました。今住んでいる東京の西から白馬村までは高速を利用しても3時間半と実に遠いのですが、それでも行ってしまうのが白馬。それだけの魅力があるのは、3千メートル級の後立山連峰が村から見えるロケーションに加え、アルパインエリアの多彩な滑走斜面、そしてほどよい木の間隔と急斜面を備えたツリーラインでしょうか。この地域は海に近いため冬は天気が悪いものの、その分降雪が多く、天気が悪い日は森林限界以下で遊べるのが良いところと言えるでしょう。ただし、雪があれば...です。

丸山ケルン。19/1/13撮影

では今年の積雪はどうかといいますと...直近では2015-16シーズン並みに少ないような気がします。山もどこか黒々としているし、標高の低いエリアではツリーホールがちらほら…。13日に崩沢を滑った時には、ゲレンデ並みのギタギタ具合とともに堰堤の出方にビックリしました。視界不良であそこに突っ込むと逝ってしまう規模のジャイアント堰堤が丸出しで、全く埋まっていませんでした。天気はというと、単発的な寒気は入るものの、この三連休も三日連続で晴れるという厳冬期にあるまじき有様。そんな白馬は八方尾根近辺から、今回は定点観測でお届けします。

唐松沢標高1300mあたりにある南滝。19/1/13撮影

早速ですが、八方尾根の北面は無名沢より上から滑ってきた場合に出くわす難所・南滝の様子です。13日は手前から複数のトレースがここに突入しており、戻ってきた形跡もなかったため、「行けるだろう」と判断して追従しましたが、こんな感じ(上の写真)です…。写真に写っているスキーヤーがいる辺りは斜度的にもかなり急(体感で55度はある)で、その下は氷が出ています。で、よく見ると誰かが落ちた跡がある(笑)。今後の降雪で状況は変わると思いますが、この時はかなり怖めでした。通過の状況は動画に収めましたので、良ければご覧ください。

3年前の同エリア。16/1/17撮影

そして、これが同じく寡雪だった3年前同時期の写真です。この時は滝を巻いたため画角と写っている範囲が異なりますが、どちらかというと3年前の方が雪が少なく、沢が埋まっていないように見えます。滑って通過した体感でも、3年前は何度かスノーブリッジを渡る必要がありましたが、今回はスムーズに滑れました。

唐松沢下部。16/1/17撮影

そして、私としてはこの時初めて唐松沢の巨大な、氷河のような「万年雪」を見ました(唐松沢は氷河の可能性があるようで、現在調査が進められているようです)。ちなみに、この日我々はDルンゼを滑り、白馬のジョニーさんが不帰2峰を滑りました。いやぁ、よく滑るよなぁ、というような雪付きだったと記憶しています。

不帰2峰。16/1/17撮影
同上。19/1/13撮影

こうして比較するとあんまり変わらない?かも知れませんが、やや今年の方が雪付きが良くて縦溝も少ないようです。なお、私は今回八方池近くにテントで前泊し、早朝からこちらへ向かいました。滑ったのは南峰(写真の左にあるピーク)からS字状に降りるラインです。このラインは2峰の中では上部の斜度が緩く、地形的にも雪崩を避けやすく、最悪転んでもなんとかなりそうなラインのように感じています(あくまで一度転んだ人の個人的な見解です)。

南峰の下部核心。18/2/9撮影
同上。19/1/13撮影

このラインは下部にわかりやすい核心があるのですが、こちらは昨年2月時のものと比べてみました。藪と岩の埋まり具合に多少の違いが見られるようですが、意外とそこまで変わらないような気がします。なお、今回は北峰のドロップポイントも確認しましたが、一昨年の3月にあったような雪のテラスは無く、いまいちどこから侵入して良いのかわからず行きませんでしたが、その翌日ジョニーさんが滑っていたことが判明。相変わらずです!

かりそめの「安全圏」で滑った斜面を振り返るパートナー。19/1/13撮影

滑った後に訪れる安堵と充足感は格別で、パックしていて難しい雪の時もありますが、広大な冬の唐松沢は何度でも来たくなる場所です。もしかしたら今まで歩いたり滑ったりした場所の中でも一番好きかも知れません。今シーズンはあと何回来れるかわかりませんが、短い厳冬期のパウダーシーズンを安全に楽しみたいと思います。

当日の動画です:

2019年1月10日木曜日

Vol.156 おそらくは日本一遠い初詣へ

「遠い」という概念は難しい。もちろん客観的に計測できる距離的な意味もあるし、街だったら道路事情や渋滞、山だったら歩きやすさや難易度等の要因によって、時間的や心理的に感じられる遠さもあるだろう。距離的な面ではどこを起点にするかという問題もあるし、時間・心理面ではどの時期にどのような条件で行くのかによっても変わってくる。その中でヒマで自由な私(妻子は実家に帰った!)たちは、年始に立山へ参拝し、その懐で山スキー三昧できないか、という計画を立てた。正直日本一かどうかはわからないが、これはかな~り遠い初詣である。そして、これは結構な博打である。

雄山神社に向けてツボ足ラッセル

立山は秋、春の山スキーエリアとして日本では名高い。本州で初滑りと言えば「秋の立山」というイメージをお持ちの方も多いのではないだろうか。しかし、昨今の寡雪でアルペンルートが閉鎖になる11月末までに、滑るために必要な降雪が無い年も増えてきた。緯度的に低い位置にある本州では、ここでの初滑りを逃すとあとはゲレンデか標高の低いアプローチを耐え忍んでアルパインエリアを攻める藪スキー、そうでなければもう北海道に行くしかないだろう。ここ3年、我々は間違いの少ない北の大地を選択してきたが、今年は2人だけだったため、本州に留まる決定をした。

未明から始まる美女平までの格闘

冬の立山は遠い。一旦アルペンルートが閉鎖されると、立山登山の基地となる室堂まで、長野県側からは後立山連峰を越えて黒部川を渡らなくては行けないし、富山県側からはシーズン中ならばケーブルカーとバスでアクセスできる広大な溶岩台地を歩いていかなければならない。日本海に近い高山のため雪深く、ラッセルはなかなかに厳しい。森林限界を超えた場所でスキーをするにはある程度の視界も求められるが、冬の立山は基本的に天気が悪い。私の勝手な感覚では未だに厳冬期の立山連峰は「週一で晴れがくれば御の字」くらいの印象だった。木のような目標物が無い高山帯では視界が無ければ滑るのは難しい。つまり、行けたとしてもまともに滑れるかどうかもわからないのだ。

重荷を背負って道路をひたすらラッセルする

それでも今回は私が立山を目指した動機は主に以下である:

1. 人のいない所に行きたい(ゲレンデや街から離れたい)
2. 最近の厳冬期は日帰りばかりなので、山に泊まりたい
3. 藪が少ない快適なスキーがしたい
4. どうせ室堂まで行くならまとめて何日か滑りたい

そして、今回の天気予報にはもしかしたらそれが叶うかも知れない、という幾ばくかの可能性を感じていた。

交代制でずっとこんな感じ

3時過ぎに立山駅の駐車場を出て、夏道に取り付く。ザックの重さは約20キロ、重いのは主に食糧だ。最初はスキーで登り始めるが斜度があり、岩や倒木などの障害物が多い。新雪目算60cmの下には根雪が無く、踏むと笹や岩が出て、ツボ足だと踏み抜く。雪まみになり、やがてびしょびしょに濡れ、呪いの言葉を何度も吐きながら3回は帰ろうかと思ったが、かなりの格闘の末、3時間以上かけて美女平に立った。そこからはひたすら膝〜脛のラッセルを繰り返す。意味などを問うてはいけない。ただひたすら空っぽの頭と雪に向き合うだけである。作詞家だったら一曲書けるくらいの時間があったのかも知れないが、私の中では何も生まれなかった。12時半、出発してから9時間半かけて到達した1520m地点で幕営することにした。

元旦に見た富山市の夜景

明朝、雪が沈降し程よいラッセル具合になった弥陀ヶ原を歩き始める。遠くに富山市の夜景が見えて人里が愛おしく思える一方、同時に「そこには居たくない」という自分を確認し、ほどよい距離感なのだろうと納得する。元々興味が無いせいもあるのだが、正月という雰囲気はまるでない。パートナーが昨晩ラジオで聞いたという紅白の話をしてくれたくらいだったが、正直男女の歌コンテストもサザンの〆もどうでもよかった。そもそも一年の初めというのは便宜的なもので、そういう意味であらゆる一日には意味があるし、反対にさして意味が無いとも言えるだろう。とりあえず今日室堂に着いたとして滑れるのかどうか、それだけが私の関心ごとだった。

天狗平まで来た。室堂までもう少しだ

出発した頃は晴れていたのだが、次第に雲が出てきており、10時前に室堂に着いても立山は見えなかった。仕方なくこの日は沈殿とするが、幸い携帯の電波があるので、スマホの電池さえあれば娯楽的要素には困らなそうに思えた。いつも見ているライブカメラに写り込んで記念撮影をする。以降1月4日の早朝まで停滞が続いた。約2.5日間の長い停滞である。当初1.5日くらいは滑りたいと思っていたのだが、予報に反して晴れ間が見えることはなく、最終日を迎えることになる。

日課となったライブカメラ撮影

俗世間との接触を断つことが、冬山に入る1つの理由のような気がするのだが、なまじ電波と電源があるため、文明の利器を用いて近くのジムにポケモンを置いたり、Twitterを更新したりしていた。また、毎日悪い方向に修正される天気予報を見ながら、滑りに行けないことに苛立ちを覚えたり、このままではラッセルや歩荷といった労力に見合ったリターンがなくなる、などという焦りにかられたりした。ホテル立山は夜間一部灯りがともり、人の気配が感じられる。中に入りたい。こんなことなら例年通り日帰り山行を重ねた方が良かったか、などと後悔の念も入り乱れ、狂おしい時間を過ごした。

とにかく惰眠をむさぼるパートナー

一方で私のパートナーといえば実にのんきなものだった。いわく「ここまで来れただけで満足」と、三が日を過ぎようというのに初滑りどころか初詣すらできていないことすら、気にも留めていない。もともと滑走意欲がさほど高くなく、パウダー滑走よりもラッセルに燃える男なだけに、ある程度理解できることとはいえ、この男の無欲ぶりには驚かされた(このままでは結婚すらできないかも知れない)。思うに、余分な欲求や感情をコントロールできなくては、自然条件よりも自分のことを優先し、危険な結果を招くのが登山である。ただし、欲がなさ過ぎてもなすべきことはなせない。なすべきこととは単純に自分がやりたいことであるが、いかにしてそういうミスの起こりにくい状況を作るのか、というのが実は今回この時季に私が立山に入った最大の理由であった。

5日目にしてようやく晴れた北アルプス。一ノ越より見た後立山。槍も見える

冬の立山というのは実に滑りに適した斜面が多い。だけでなく、スキーでのシールを使ったアプローチもしやすい。しかし、雪崩のリスクも当然あり、自然発生だけでなく人為的に起こされた雪崩によって他者を巻き込んだり、逆に巻き込まれたりするおそれもある。そういう点で、11月の立山は人が多すぎる。自分のパーティだけならともかく、他人の行動をコントロールすることはできない。同時に人が多いことが、危険の認知にも影響をおよぼす。「他の人が行っているから大丈夫」だったり、「彼らと同じように自分をあそこを滑りたい」だったり、「人が見ているから上手い滑りをしたい」だったり、ただでさえ多い煩悩は他者に触れることで増幅される。人がいないからこそ、自分の判断と責任で安全な行動ができる。そこでできることを確認したい、というのが今回の私なりのテーマだった。


快晴の中、雄山神社に初詣へ

1月4日、冬型の気圧配置が終わり高気圧が近づいたことで、未明の空には星が瞬いていた。待ちに待った快晴である。とはいえ、一日天気が良くても一日中立山で遊んでいる余裕はない。この日が下山日となっており、正月から降り続いた雪により帰りのアルペンルートには、深いラッセル地獄が待っているのだ。滑るための行動は10時くらいまでとし、あとは脱出行に注力することにした。そういえばタイトルは「初詣」だったが、正直なところ私はそこまで関心が無く、どちらかというと「初滑り」が重要で、こちらの方が幾分か宗教的であった。

昨シーズンとほぼ同じとなった初滑りライン

雄山に参拝してから立山の最高峰である大汝山を往復し、滑ったのは昨シーズン、11月の立山で滑ったのとほぼ同じラインだった。南面の斜度40度くらいの程よい傾斜をした広い沢地形に、去年と全く同じような浅く、滑りやすい粉雪が溜まっていた。これを終えてから浄土山側に登り返してボウルをもう1本。出だし以外は緩傾斜で雪崩もあまり恐くない。結局のところ風の影響が少なくて程よい傾斜の斜面を、去年ソロだった時と同じように選んで滑っていた。雄山から東面の滑走と登り返しを省いたあたり、より安全な方向に振れたかも知れないが、それは時間的な都合でもある。

左が龍王岳、右のボウル地形を2本目の滑走とした

誰もいない立山を滑る感覚も、滑り終わった後にふり返って見るシュプールも素晴らしかったが、これで全てが報われたかというと、正直よくわからない。下山中も、下山してからも何かもやもやしたものが残っていて、それは今も消えていない。「5日間も山に入って、気持ち良い滑りもあって、最高でした!」と報告できれば最良に違いないのだが、自分が求めていたものとその結果について、未だに消化できていないものがある。

誰もいない室堂(この対面にはホテル立山があり、建物の中には誰かがいる)

おそらく私の不満は、主に思っていたリターンが得られなかったこと、そして、人のいない大自然の中に入りたいという欲求が満たされなかったことに起因するのではないかと思う。前者は自然に対して過度な期待や想像をしたことが原因であり、100%自分の問題である。新年ももうだいぶ明けてしまったが、今年も煩悩と向き合う日々が続きそうだ。一方で、後者は内的・外的両方の要因がある。山中にいても明かりの灯る建物や外部と通信できるスマートフォンがある状況にあっては、大自然など感ずるべくも無く、それを利用するほどに私は弱い。大自然あるいは「ウィルダネス」と呼べるような自然は、私が生まれた時から日本にはもう既になかった。黒部や立山はさらなる観光地化の方向で話が進められており、今後より俗化することは間違いないと思われる。そういう流れについて、いち登山者として、いち市民としてどのような態度をとるべきなのか、そして自分自身はどういう登山をするべきなのか、私にはまだ答えが出せないでいる。

弥陀ヶ原を下りラッセルして帰った

なお、1月4日の下山はたっぷり20時までかかりました。本記録の詳細はこちらにまとめましたので、良ければご覧ください。

2019年1月3日木曜日

Vol.155 花崗岩大国ニッポン滞在と雑感


錫杖岳前衛壁 5年ぶりの再訪に感動 
皆様、2019年明けましておめでとうございます。
今年もメンバーそれぞれが自身の活動そして情報共有のためのブログと
頑張って行きますので、
リンクアップを宜しくお願いします。

11月にカナダに帰国してフルタイムで働きながら、
週1のペースで山へクライミングへ出かけている。
週に1回だけ?と思った方、さぼっている訳ではありません。
日本で読んだスキージャンプ界のレジェンドこと葛西先生の本を読んで、
感銘を受けたのがきっかけ。
「年齢を重ねるにつれてトレーニングの量と質を考えなくてはいけない」。
ということで、今シーズンは1日集中作戦で
アルパインのトレーニングを積もうと考えている。そして、空いた時間は基礎筋力トレと身体のケアに充てていて、今のところ、まずまず良い感じ。
これが春の目標にどう出るか。

さて、今回は新年1発目は1か月半の花崗岩大国ニッポン滞在の雑感とその時に感じたリンクアップとして目指すべき所について書いて行きたいと思います。

小川山1日目は
最高ルーフ(10d)。
笠間のピンキー(10C)とバイパス(11b)から継続すると充実感満点
秋のベストシーズンに是非再訪したかった小川山と瑞牆山。昨今ワールドクラスのクライミングが実践されている場所。折角、日本に来たのだから玉砕覚悟で花崗岩のスラブにクラックと戯れたい。ロッキーで石灰岩慣れしている私にとって足で登っていくクライミングというものを再認識させられた。ロッキーで会ったMくんやらリンクアップ仲間である星野にもお世話になり楽しい1週間を過ごすことができた。

静かな廻り目平キャンプ場。
小川山のキャンプ場では北海道ガイドチームに混ぜて頂き、焚火をしながらガイド文化の話、ガイド技術の話などを聞かせてもらう。昔ではなかった会話に自分もガイドなんだなと改めて感じた瞬間だった。話で印象に残っているのは日本のガイド組織も少しづつ成長していると言われたこと。カナダ山岳ガイド協会もここ数年でどんどん良い組織になっている。その中で自分なりのガイディングを模索していくことができるのは幸せなことだ。

クラシックなベルジュエールの大フレーク
アルパインクライミングには花崗岩の方がトレーニングになると感じた。たとえボルトルートであっても微妙な足使いやメンタル的な部分が石灰岩よりも感覚が近い。逆にハードなミックスやアイスクライミングには石灰岩で被ったルートを登った方がトレーニングになる。

終了点から瑞牆山を望む。次回はヤスリ岩に行ってみたい。
少しでいいからこの花崗岩の岩塔をロッキーに立ててくれ。もうバカブーをゲレンデにするしかないな。

信濃川上駅
33歳になってマカルー80L(アライテント製、120L以上の積載量を兼ね備える最強のザック)に荷物を満載して鈍行電車に揺られる自分。まだ若いなと思いながらも学生時代とやってることが同じなことに半ば不安を感じてしまう。人生一度きり、自分を信じて山を続けよう。

小川山からそのまま錫杖へ転戦。北沢デラックス(12c)へ。

頼もしき東海圏のエースHくん
花崗岩のアルパイン道場といえば錫杖岳。この北沢デラックスとてもいいルートでした。
特に2p目の上手くクラックを繋いだ60ⅿは素晴らしいの一言。初登者の心意気が伝わってくるライン。自分の実力が見合ってないのが心苦しいけれど、また強くなって帰ってこよう。最近ではウィンタークライマーズミーティングの世話役を務めるなど活躍中のHくん。東海圏では数少ないアルパインクライマー。同じクライマーでもアルパインクライマーじゃないと共感し合えないものがある。

日本の紅葉と焼岳


今回のハイライトの一つ。ご馳走して頂いた生ガキ。こんな大きいのは初めて。

某シークレットボルダー 豊田周辺にて
花崗岩=ボルダー最高。ロッキーに来てからボルダー=ジムなのでこれは触っておきたいということで学生時代働いていた「クライミングジムズットン」メンバーと一緒にボルダリング。リンクアップのスライドショーでも話した「環境がクライマーを育てる」ということ。日本でボルダリングが異常な人気なのはそれだけボルダーが充実してるということ。目的に応じて国や場所を選ぶこれがクライマーとして成長する近道かもしれません。大きな壁を登れるクライマーになるためにロッキーに住む。これが正解かどうかはこれからのクライミングで証明していきたいことの一つ。

我が東海支部の面々と。ホームゲレンデ御在所岳にて
瑞浪の看板ルート アダム 
雑誌の編集などでお世話になっているOさんと岩場でばったり
日本滞在中にはガイドの方以外にも登山関連で働く方々と話す機会が何度かあった。その中で話題になったのは、スポーツとしてのフリークライミングやボルダリングそしてキャンプなどのアウトドアが流行する一方で、元来の「登山文化」自体は衰退しているのではないかということだった。山岳部の後輩達と話してもフリークライミングやキャンプはするが、山には行かない学生がほとんどだった。計画も面倒だし、お金もかかるし、時間もかかる。山に入れば不便なことが多い。理由は様々だと思うが山に入ればそれを補って余りあるほどのものを得られることを私は知っている。だから私は今も山に向かい続けているし、ガイドという仕事を通じて多くの人とその経験を共有したいと思っている。登山関連で働くごく一部の理解者の方々も本来あるべき山の本質が消えかかっていることを危惧しているが、今の状況で何をしていくべきなのか答えは見えていないようだった。


リンクアップ兼岩の珍しいクライミングショット
スライドショー後のクライミング後の打ち上げ
リンクアップのメンバーは活動場所も内容も違えど、「山」というフィールドで活動している。だからこそこのブログを一緒にやる意味もあるし、スライドショーなんて大変なこともやる価値はあったと信じている。具体的にその問題に対してどうすればいいのか答えは簡単じゃないが一つやり続けなきゃいけないことは自分自身が「山で楽しむこと」そしてそれを「表現して伝えていくこと」だと個人的に思っている。今回のスライドショーでは「登る人」を主催して山や自然を舞台に挑戦している人達を紹介している朝日さんにも大変お世話になった。これからも自分の都合がつく限り、山の魅力を伝えようと努力している人たちと連携しながら活動していければいいと思っている。