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2018年1月18日木曜日

Vol.107 二度目のニペソツ

新井氏が見たであろうニペソツ山の東壁

僕がニペソツ山に登る理由はだいたい100個くらいあって、1つ目は新井裕己がニペソツに遺した「Bum's Life」を滑ってもいいかな、なんて思っていること。あ、すみません、1つしかありませんでした…。

ニペソツ山は中高年に大人気な「日本百名山」にこそ選ばれなかったものの、深田久弥をして「日本百名山を出した時、私はまだこの山を見ていなかった。ニペソツには申し訳なかった」と言わしめた「立派な山」である。北海道の東大雪に位置し、標高も2,013mと北海道では高い部類に属す。山名は「アイヌ語のニペソチnipes-ot-i「シナノキの樹皮(内皮)・~が群在する・もの」が略されて伝わったとかいう説があるとウィキペディアに載っている。

高校を卒業するまで北海道で育った私だが、当時山には何の興味もなく「ニペソツ」の「ぺ」の字も聞いたことがなかったし、初めて見たのはたぶんGoogleとかで、一昨年の12月に初めて訪れるまで実際に見たこともなかった。そんな私がこの山を登りたい、滑ってみたいと思ったのは、他でもなく2003年1月に新井裕己がニペソツ山東壁に引いたという「Bum's Life」という滑走ラインをなぞってみたかったからである。

橋を渡り尾根に取り付くと、朝陽が差し込んだ

私の動機をより細かく分けるならば、1つ目は新井裕己という人物に、どこかシンパシーのようなものを感じていたこと、2つ目は初滑降から15年が経過した今でも未だに一人にしか滑られていないラインであること、3つ目はこれが日本の急斜面滑降における最難課題の1つと目されること、等である。私はこの男が命を削りながら(少なくとも左膝脛骨内顆骨折しながら)この壁に拓いた滑降ラインを実際に滑ることで、彼の体験のごく一部でも追体験したいと思っていたし、またその難易度を体感し、確認してみたかったのだ。

新井氏が遺した記録は、少なくとも私にとっては伝説のようなものであり、他に滑っている人がおらず、滑走時に撮影された写真や動画も見当たらない、既存ルートでありながら未知の要素を孕んだ好奇心を刺激するものであった。

私が初めてニペソツに挑んだのは一昨年の年末だった。この時は登路を誤り、うかつにもデルタルンゼ上部で雪崩のトリガーを引き、50~100m流され仲間の一人が肩を脱臼し、敗退の憂き目にあった。この時は件のルートを滑るというよりは「見てみたい」というくらいの心づもりであったが、一度敗退したことでこの山に対する想いが強くなり、次に行くときは…と次第に考えるようになっていた。

前回仰ぎ見た東壁

そして2017年大晦日、前回敗退した時と同じメンバーで、今回は異なるアプローチからニペソツに向かった。アプローチは前回同様幌加ダムから。橋を渡って今回は尾根に取り付く。2003年に新井さんが辿ったのと同じルートだ。取付きからしばらく作業道の名残と思われる開けた箇所があり、斜度も緩いため歩きやすいスキー向きの尾根だった。

高度を上げると山頂から件のラインが見える。確かに雪はつながっているように見えるが凸凹しており、万一滑り出しで転べば崖へ転落してもおかしくない。許容できるリスクの範囲を超えているように思えた。一方、東稜を挟んで手前側に落ちるきれいな沢があり、ここは私が知る限り滑降の記録は無かった。場合によってはここでもいいかな、と考えた時点で「Bum's life」への挑戦は終わっていたかも知れない。

斜面をトラバースして山頂に向かう

主稜線に出て山頂まで標高差で200mくらいの所までシールで乗り上げた。尾根が細くなる前にスキーを担いで山頂に向かう。尾根は基本的に登りやすく、一部雪壁があるが、特に難しくはない。ここまで風はほとんどなく、空は濃紺。これほどの好コンディションもなかなか無いだろう。無事山頂に到着した。

山頂でロープを出し斜面を覗き込もうとするが、どこまでが雪庇かわからず、下を見るまで至らなかった。代わって別のメンバーが覗くが「60度近い」崖で雪も固い。おまけにその下は200mくらい岩壁なので落ちれば死ぬ(可能性が高い)。ロープを出して確認したが明らかなエントリーポイントすら見つからなかった。精神的にここを滑るだけの準備はできていなかったようだ。結局、アプローチ中に見た沢を滑ることにして往路を戻る。

山頂からスカイラインを経由し、写真右のルンゼに入るのが「Bum's life」と見られるライン

戻り際、東壁にあるもう1つのルートを覗いたが、こちらは出だしこそ急であるものの、客観的な危険が少なく、この日のコンディションでも滑れそうだった。なお、このルートはField Earthのライダーによって滑られており、つい最近もソロのスノーボーダーによって滑られている。ちょうど上の写真を撮った場所にあるのがそのドロップポイントだが、元々東壁を滑るということ自体には強いこだわりがなく、パーティの都合としてもここを滑るのは適当でなかったので、今回は見送ることにした。

板を他の3人より下部に残置した1人と別れ、1900mあたりから滑り始める。雪はパックしており、部分的にアイスバーンが見えたので、安全と思われるラインで下りる。2ピッチ目で重めなパウを楽しむが、やがてすぐ滝に行き当たった。雪に覆われているが廊下状に10mほど細く続いているため、太めの木を支点に60mロープで懸垂する。落ち口までは届かなかったので最後は1mくらいのジャンプが必要だった。滝が終わると沢は広くなり、ここで全員が合流することができた。

赤が「Bum's life」と思われるライン。オレンジは出だしがもう少し安全に見えるライン。緑は「Field Earth」のライン(写真には写っていない)。青が今回滑降したライン(別の沢に出る)。

そこからトラバースし沢を越え、あとは去年のアプローチルートを戻るだけ。最後はヘッデン下山だったが、念願のニペソツ登頂もでき完全燃焼の一日となった。凡庸なラインだが万一初滑降であれば自身の平凡な人生にちなんで「Papa's Life」と名付けたい、とか言ってみる。

正直、山頂より少し下ったところにある、大して急でもボールドでもなく、比較的安全だが創造的ではない、いわば妥協の産物である。とはいえ、懸垂下降を排して滝を直滑降で乗り切れば、つまり滑り方によってはそれなりに格好がつかなくもない。パパの人生なんてそんなもんだろうという、のが1つ。2つ目はパパの命はバムの命より重いんだぜということ。そんな理由でこの名前を選んでみた。

いずれにしてもパパだからあのラインを滑れなかったのではなく(それは単なる言い訳に過ぎない)、弱いから滑れなかったことは間違いない。あるいは、もっと雪が付くなどして条件が良いときに、滑れる時がくるかも知れない。それを誰が滑るかはさておき、私はそれをまだ望んでいる気がする。

山頂から見た十勝連峰

最後に、今回件のルートを個人的に観察した範囲でいくつか危険個所について言及したい。1つ目は山頂からのドロップポイント。ほぼ崖と言ってよく、不帰3峰C尾根の出だしくらいの斜度の下に崖があり、ミスれば生命に係わる(と私は思う)。2つ目は扇状に沢が集まったところにある崖。新井氏はここをクリフジャンプでクリアしているが、骨折を負うくらいのリスクがある箇所で、運が悪ければ自力下山が困難になることから、同じ方法は有り得ないと考える。私はそこまで行ければその場で判断しようと思っていたが、今回の山行で懸垂用ロープと支点工作用のギアを持参していた。もし新井氏がロープを持っていれば、そうしたであろうと考えるからだ。とはいえ、15年以上経過した後で、初滑降者より「良くない」スタイルでリピートすること自体に記録的な価値は無いだろう。あくまで自己満足の世界である。

初めて見たニペソツ東壁

あと99個くらいあった冬にニペソツを訪れる理由を忘れてしまった。最初に敗退した直後の2017年1月の三連休、山スキーの先生と話す機会があり、当時の行動をいくつか注意された。その時、私はニペソツに向かった理由を話していなかったが、当然彼はお見通しであったのだろう。「雪が良ければどんな急斜面でも滑れる」「100回に1回失敗するような滑降をしていては、いつか命を落とす」というのが先生の口癖で、あまり1つのことにとらわれてはいけない、というのがその趣旨であったと思う。「お前は新井に憑りつかれてるんじゃないのか」とも言っていた。あるいは、そういう解釈も成り立つのかも知れない。

私はあの山頂から滑った人がいることが、いまだによく呑み込めていない。ただ新井氏が書いた内容の具体性に私が実際に見てきたものを照らしてみても、ほとんど疑いのない事実のように思う。彼は確かにそこを滑ったらしい。いずれにしても、それはまだそこにあって、誰かに滑られるのを待っているような気がする。そう考えると、心が震えるのである。



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