チーム「Link∞UP」は日本と北米の‘愉快で有益な’「マウンテンライフ」情報を日本と英語圏において共有をすること。 その生活を‘一生懸命楽しんでいる人達’のコネクション強化を図ることを目的に活動しています。 日本や北米でのマウンテンライフについて情報の欲しい方や私達に興味のある方はお気軽にご連絡下さい。

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2019年3月21日木曜日

Vol.165 春の安堵感とその正体

栂池自然園から見る白馬岳



山スキーヤーである私、トマホーク・カネイワは、毎年この季節になると正体不明の安堵感に包まれる。そして、たいていそのまま板にワックスをかけて収納してしまう。人に誘われない限りは春の立山にも初夏の富士山にも出かけず、上達しないクライミングに励むべく、ジム通いと適当な減量に取りかかる。私にとって3月下旬から4月にかけてはそんな季節である。


あくまでもここ数年の短い経験に基づく個人的な感触だが、例えば白馬でコンスタントにパウダーが滑れるのは一月中旬から二月中旬くらいまでのせいぜい一ヶ月程度ではないだろうか。それ以前だと雪が足りないし、それ以降だと頻度も質も少し落ちてしまうように思う。

素晴らしき哉、小谷!


二月初旬~中旬にもなると小谷の里山も十分に雪が積もり、冬型の気圧配置でアルパインエリアが大荒れでも、下部のツリーランを思う存分楽しめる。晴れれば北アルプスの稜線に足を延ばす。リスクと緊張感は高くなるが、その分得られるものも大きい。この時季の山スキーはまさに全天候型だ。

2シーズンの白馬バム生活を経て、ここ4シーズン平日は天気図や天気予報とにらめっこしながら、週末や不意の晴天を狙った山行計画を立ててきた。北アルプスが好きでその中でもエリアが広く、着のある白馬が第一志望だが、今私の住んでいる東京の西の果てからは約3時間半近くかかる。小谷や糸魚川であればさらに30分~1時間、もはや気軽に行ける場所でもなくなってしまった。


今年1月の八方尾根


積雪、天気、距離、様々なリスク、コストパフォーマンス、諸々を検討したり、天秤にかけたりしながら悩んだり、怯えたりして、山から帰ってきてもそこでの良い経験に浸ったり、失敗に後悔したり、一喜一憂の日々を過ごす。そうした中で、どちらかというと肉体よりも精神的な疲労が蓄積していく。

そして、雨が降る。一度標高の高いエリアまで降雨があり、固い氷のレイヤーができてしまうと、その後の天候によってはまた寒気が戻って雪が降っても積雪構造が不安定になることがある。机上ではそうでも行ってみると案外雨の影響が少なく、安定している場合もある。行ってみないとわからない。


デブリに埋まる谷、中ノ岳・檜倉沢


ただ一度上まで雨が降ると確実に大きな雪崩が起き、大きな谷はデブリが山積する。場合によっては谷全体を埋め尽くし、カリカリのデブリ地獄と化すこともある。一度そういうのに出くわすと、これはこれでまたやる気が削がれる原因となる。

3月上旬から中旬にかけて、雪の安定と晴天率の高まりを利用して大きな山行ができたり、シーズンの課題がうまくクリアできてしまったりすることもある。そうすると、満足感から山にスキーをしに行く理由がなくなることもある。もう十分頑張ったから、これ以上危険を冒すのはやめよう、もうこれでいいだろう、という自分を許すような感覚だろうか。


今でも怖い山の1つ、カエラズ2峰


山は恐い。不安定な白いまとまりとなった雪山は特に恐い。いくら雪崩の勉強をしたとしても、体力や技術を高めたとしても、そこに近づく限り、その危険から完全に逃れる術はないだろう。特定の山域や地形に精通して、安全マージンを高く取れば、かなりの確率で事故を避けられるような気もする。ただ、それでは私が山に行く理由の多くも失われる気がする。

厳冬期、山に行くためのパッキングをこなしながら、ふと我に返って、私は死ぬ準備をしているのではないか、と思うことがある。もちろん、山で死ぬ気はない。それが目的であればもっと手っ取り早い方法がいくらでもあるだろう。もちろん死なないための準備をする。ただ、行かなければ確実に安全圏に留まれるという点において、二元論でいえば、死の方に向かって準備を進めていることは否めないのだ。

問題は、不安要素をどのように具体化して努力や発想で消していけるかどうか。ダメであれば対象のレベルを下げるしかない。高い対象に合わせて、日々を積み重ねていける人こそが、本当の意味で強い人なのだろうと思う。そういう風に私はなれない。だから、自分のできる、自分が満足できる目標を設定しながら山を楽しんでいる。


お気に入りの観光スポット・安曇野の大王わさび農場


さて、またしてもウダウダと愚にもつかないことを並べてしまったので、そろそろまとめたいと思う。私がこの時期に感じる安堵感、それは対象を測り切れない不安からの解放であったり、やるだけのことをやって、一定の満足感や自己肯定感を得た後の、束の間の安穏のようなものだと思われる。

それが、今シーズンはまだ訪れていない。ので、もうしばらく山に通ってみようと思う。もちろん、春になっても雪の残るこの時期の山もまた怖い。日は長くなり気候は安定するが、その分急に寒気が入った時の落差が激しく、準備を怠った者には容赦がない。思うに、自然は人間に興味や関心が無い。ただただ弱いものを、埃でも払うかのように淘汰するだけである。

そんな中、もう少しだけ遊ばせて頂きたいとただ願うばかりである。

プロフェッショナルとは

2019年1月16日水曜日

Vol.157 八方尾根・今年の積雪状況

今週のブログ担当・谷が多忙につき、二週連続でカネイワがお届けします。連続して山スキーの話題になってしまいますが、何卒お付き合いくださいませ。ところで、前回書き忘れてしまったのですが、私は昨年11月末、シーズンの目標だった「5.12a」を一本(ようやく)登れました!という訳で、今は気分を切り替えてスキーを楽しんでおります。12aがようやく登れた話は、また雪が少なくなって話題に困る頃に報告させていただきます。

八方尾根から見た白馬三山(鑓は左に隠れてます)19/1/13撮影

さて、去る3連休(うち土日の2日間)、白馬に行って参りました。今住んでいる東京の西から白馬村までは高速を利用しても3時間半と実に遠いのですが、それでも行ってしまうのが白馬。それだけの魅力があるのは、3千メートル級の後立山連峰が村から見えるロケーションに加え、アルパインエリアの多彩な滑走斜面、そしてほどよい木の間隔と急斜面を備えたツリーラインでしょうか。この地域は海に近いため冬は天気が悪いものの、その分降雪が多く、天気が悪い日は森林限界以下で遊べるのが良いところと言えるでしょう。ただし、雪があれば...です。

丸山ケルン。19/1/13撮影

では今年の積雪はどうかといいますと...直近では2015-16シーズン並みに少ないような気がします。山もどこか黒々としているし、標高の低いエリアではツリーホールがちらほら…。13日に崩沢を滑った時には、ゲレンデ並みのギタギタ具合とともに堰堤の出方にビックリしました。視界不良であそこに突っ込むと逝ってしまう規模のジャイアント堰堤が丸出しで、全く埋まっていませんでした。天気はというと、単発的な寒気は入るものの、この三連休も三日連続で晴れるという厳冬期にあるまじき有様。そんな白馬は八方尾根近辺から、今回は定点観測でお届けします。

唐松沢標高1300mあたりにある南滝。19/1/13撮影

早速ですが、八方尾根の北面は無名沢より上から滑ってきた場合に出くわす難所・南滝の様子です。13日は手前から複数のトレースがここに突入しており、戻ってきた形跡もなかったため、「行けるだろう」と判断して追従しましたが、こんな感じ(上の写真)です…。写真に写っているスキーヤーがいる辺りは斜度的にもかなり急(体感で55度はある)で、その下は氷が出ています。で、よく見ると誰かが落ちた跡がある(笑)。今後の降雪で状況は変わると思いますが、この時はかなり怖めでした。通過の状況は動画に収めましたので、良ければご覧ください。

3年前の同エリア。16/1/17撮影

そして、これが同じく寡雪だった3年前同時期の写真です。この時は滝を巻いたため画角と写っている範囲が異なりますが、どちらかというと3年前の方が雪が少なく、沢が埋まっていないように見えます。滑って通過した体感でも、3年前は何度かスノーブリッジを渡る必要がありましたが、今回はスムーズに滑れました。

唐松沢下部。16/1/17撮影

そして、私としてはこの時初めて唐松沢の巨大な、氷河のような「万年雪」を見ました(唐松沢は氷河の可能性があるようで、現在調査が進められているようです)。ちなみに、この日我々はDルンゼを滑り、白馬のジョニーさんが不帰2峰を滑りました。いやぁ、よく滑るよなぁ、というような雪付きだったと記憶しています。

不帰2峰。16/1/17撮影
同上。19/1/13撮影

こうして比較するとあんまり変わらない?かも知れませんが、やや今年の方が雪付きが良くて縦溝も少ないようです。なお、私は今回八方池近くにテントで前泊し、早朝からこちらへ向かいました。滑ったのは南峰(写真の左にあるピーク)からS字状に降りるラインです。このラインは2峰の中では上部の斜度が緩く、地形的にも雪崩を避けやすく、最悪転んでもなんとかなりそうなラインのように感じています(あくまで一度転んだ人の個人的な見解です)。

南峰の下部核心。18/2/9撮影
同上。19/1/13撮影

このラインは下部にわかりやすい核心があるのですが、こちらは昨年2月時のものと比べてみました。藪と岩の埋まり具合に多少の違いが見られるようですが、意外とそこまで変わらないような気がします。なお、今回は北峰のドロップポイントも確認しましたが、一昨年の3月にあったような雪のテラスは無く、いまいちどこから侵入して良いのかわからず行きませんでしたが、その翌日ジョニーさんが滑っていたことが判明。相変わらずです!

かりそめの「安全圏」で滑った斜面を振り返るパートナー。19/1/13撮影

滑った後に訪れる安堵と充足感は格別で、パックしていて難しい雪の時もありますが、広大な冬の唐松沢は何度でも来たくなる場所です。もしかしたら今まで歩いたり滑ったりした場所の中でも一番好きかも知れません。今シーズンはあと何回来れるかわかりませんが、短い厳冬期のパウダーシーズンを安全に楽しみたいと思います。

当日の動画です:

2019年1月10日木曜日

Vol.156 おそらくは日本一遠い初詣へ

「遠い」という概念は難しい。もちろん客観的に計測できる距離的な意味もあるし、街だったら道路事情や渋滞、山だったら歩きやすさや難易度等の要因によって、時間的や心理的に感じられる遠さもあるだろう。距離的な面ではどこを起点にするかという問題もあるし、時間・心理面ではどの時期にどのような条件で行くのかによっても変わってくる。その中でヒマで自由な私(妻子は実家に帰った!)たちは、年始に立山へ参拝し、その懐で山スキー三昧できないか、という計画を立てた。正直日本一かどうかはわからないが、これはかな~り遠い初詣である。そして、これは結構な博打である。

雄山神社に向けてツボ足ラッセル

立山は秋、春の山スキーエリアとして日本では名高い。本州で初滑りと言えば「秋の立山」というイメージをお持ちの方も多いのではないだろうか。しかし、昨今の寡雪でアルペンルートが閉鎖になる11月末までに、滑るために必要な降雪が無い年も増えてきた。緯度的に低い位置にある本州では、ここでの初滑りを逃すとあとはゲレンデか標高の低いアプローチを耐え忍んでアルパインエリアを攻める藪スキー、そうでなければもう北海道に行くしかないだろう。ここ3年、我々は間違いの少ない北の大地を選択してきたが、今年は2人だけだったため、本州に留まる決定をした。

未明から始まる美女平までの格闘

冬の立山は遠い。一旦アルペンルートが閉鎖されると、立山登山の基地となる室堂まで、長野県側からは後立山連峰を越えて黒部川を渡らなくては行けないし、富山県側からはシーズン中ならばケーブルカーとバスでアクセスできる広大な溶岩台地を歩いていかなければならない。日本海に近い高山のため雪深く、ラッセルはなかなかに厳しい。森林限界を超えた場所でスキーをするにはある程度の視界も求められるが、冬の立山は基本的に天気が悪い。私の勝手な感覚では未だに厳冬期の立山連峰は「週一で晴れがくれば御の字」くらいの印象だった。木のような目標物が無い高山帯では視界が無ければ滑るのは難しい。つまり、行けたとしてもまともに滑れるかどうかもわからないのだ。

重荷を背負って道路をひたすらラッセルする

それでも今回は私が立山を目指した動機は主に以下である:

1. 人のいない所に行きたい(ゲレンデや街から離れたい)
2. 最近の厳冬期は日帰りばかりなので、山に泊まりたい
3. 藪が少ない快適なスキーがしたい
4. どうせ室堂まで行くならまとめて何日か滑りたい

そして、今回の天気予報にはもしかしたらそれが叶うかも知れない、という幾ばくかの可能性を感じていた。

交代制でずっとこんな感じ

3時過ぎに立山駅の駐車場を出て、夏道に取り付く。ザックの重さは約20キロ、重いのは主に食糧だ。最初はスキーで登り始めるが斜度があり、岩や倒木などの障害物が多い。新雪目算60cmの下には根雪が無く、踏むと笹や岩が出て、ツボ足だと踏み抜く。雪まみになり、やがてびしょびしょに濡れ、呪いの言葉を何度も吐きながら3回は帰ろうかと思ったが、かなりの格闘の末、3時間以上かけて美女平に立った。そこからはひたすら膝〜脛のラッセルを繰り返す。意味などを問うてはいけない。ただひたすら空っぽの頭と雪に向き合うだけである。作詞家だったら一曲書けるくらいの時間があったのかも知れないが、私の中では何も生まれなかった。12時半、出発してから9時間半かけて到達した1520m地点で幕営することにした。

元旦に見た富山市の夜景

明朝、雪が沈降し程よいラッセル具合になった弥陀ヶ原を歩き始める。遠くに富山市の夜景が見えて人里が愛おしく思える一方、同時に「そこには居たくない」という自分を確認し、ほどよい距離感なのだろうと納得する。元々興味が無いせいもあるのだが、正月という雰囲気はまるでない。パートナーが昨晩ラジオで聞いたという紅白の話をしてくれたくらいだったが、正直男女の歌コンテストもサザンの〆もどうでもよかった。そもそも一年の初めというのは便宜的なもので、そういう意味であらゆる一日には意味があるし、反対にさして意味が無いとも言えるだろう。とりあえず今日室堂に着いたとして滑れるのかどうか、それだけが私の関心ごとだった。

天狗平まで来た。室堂までもう少しだ

出発した頃は晴れていたのだが、次第に雲が出てきており、10時前に室堂に着いても立山は見えなかった。仕方なくこの日は沈殿とするが、幸い携帯の電波があるので、スマホの電池さえあれば娯楽的要素には困らなそうに思えた。いつも見ているライブカメラに写り込んで記念撮影をする。以降1月4日の早朝まで停滞が続いた。約2.5日間の長い停滞である。当初1.5日くらいは滑りたいと思っていたのだが、予報に反して晴れ間が見えることはなく、最終日を迎えることになる。

日課となったライブカメラ撮影

俗世間との接触を断つことが、冬山に入る1つの理由のような気がするのだが、なまじ電波と電源があるため、文明の利器を用いて近くのジムにポケモンを置いたり、Twitterを更新したりしていた。また、毎日悪い方向に修正される天気予報を見ながら、滑りに行けないことに苛立ちを覚えたり、このままではラッセルや歩荷といった労力に見合ったリターンがなくなる、などという焦りにかられたりした。ホテル立山は夜間一部灯りがともり、人の気配が感じられる。中に入りたい。こんなことなら例年通り日帰り山行を重ねた方が良かったか、などと後悔の念も入り乱れ、狂おしい時間を過ごした。

とにかく惰眠をむさぼるパートナー

一方で私のパートナーといえば実にのんきなものだった。いわく「ここまで来れただけで満足」と、三が日を過ぎようというのに初滑りどころか初詣すらできていないことすら、気にも留めていない。もともと滑走意欲がさほど高くなく、パウダー滑走よりもラッセルに燃える男なだけに、ある程度理解できることとはいえ、この男の無欲ぶりには驚かされた(このままでは結婚すらできないかも知れない)。思うに、余分な欲求や感情をコントロールできなくては、自然条件よりも自分のことを優先し、危険な結果を招くのが登山である。ただし、欲がなさ過ぎてもなすべきことはなせない。なすべきこととは単純に自分がやりたいことであるが、いかにしてそういうミスの起こりにくい状況を作るのか、というのが実は今回この時季に私が立山に入った最大の理由であった。

5日目にしてようやく晴れた北アルプス。一ノ越より見た後立山。槍も見える

冬の立山というのは実に滑りに適した斜面が多い。だけでなく、スキーでのシールを使ったアプローチもしやすい。しかし、雪崩のリスクも当然あり、自然発生だけでなく人為的に起こされた雪崩によって他者を巻き込んだり、逆に巻き込まれたりするおそれもある。そういう点で、11月の立山は人が多すぎる。自分のパーティだけならともかく、他人の行動をコントロールすることはできない。同時に人が多いことが、危険の認知にも影響をおよぼす。「他の人が行っているから大丈夫」だったり、「彼らと同じように自分をあそこを滑りたい」だったり、「人が見ているから上手い滑りをしたい」だったり、ただでさえ多い煩悩は他者に触れることで増幅される。人がいないからこそ、自分の判断と責任で安全な行動ができる。そこでできることを確認したい、というのが今回の私なりのテーマだった。


快晴の中、雄山神社に初詣へ

1月4日、冬型の気圧配置が終わり高気圧が近づいたことで、未明の空には星が瞬いていた。待ちに待った快晴である。とはいえ、一日天気が良くても一日中立山で遊んでいる余裕はない。この日が下山日となっており、正月から降り続いた雪により帰りのアルペンルートには、深いラッセル地獄が待っているのだ。滑るための行動は10時くらいまでとし、あとは脱出行に注力することにした。そういえばタイトルは「初詣」だったが、正直なところ私はそこまで関心が無く、どちらかというと「初滑り」が重要で、こちらの方が幾分か宗教的であった。

昨シーズンとほぼ同じとなった初滑りライン

雄山に参拝してから立山の最高峰である大汝山を往復し、滑ったのは昨シーズン、11月の立山で滑ったのとほぼ同じラインだった。南面の斜度40度くらいの程よい傾斜をした広い沢地形に、去年と全く同じような浅く、滑りやすい粉雪が溜まっていた。これを終えてから浄土山側に登り返してボウルをもう1本。出だし以外は緩傾斜で雪崩もあまり恐くない。結局のところ風の影響が少なくて程よい傾斜の斜面を、去年ソロだった時と同じように選んで滑っていた。雄山から東面の滑走と登り返しを省いたあたり、より安全な方向に振れたかも知れないが、それは時間的な都合でもある。

左が龍王岳、右のボウル地形を2本目の滑走とした

誰もいない立山を滑る感覚も、滑り終わった後にふり返って見るシュプールも素晴らしかったが、これで全てが報われたかというと、正直よくわからない。下山中も、下山してからも何かもやもやしたものが残っていて、それは今も消えていない。「5日間も山に入って、気持ち良い滑りもあって、最高でした!」と報告できれば最良に違いないのだが、自分が求めていたものとその結果について、未だに消化できていないものがある。

誰もいない室堂(この対面にはホテル立山があり、建物の中には誰かがいる)

おそらく私の不満は、主に思っていたリターンが得られなかったこと、そして、人のいない大自然の中に入りたいという欲求が満たされなかったことに起因するのではないかと思う。前者は自然に対して過度な期待や想像をしたことが原因であり、100%自分の問題である。新年ももうだいぶ明けてしまったが、今年も煩悩と向き合う日々が続きそうだ。一方で、後者は内的・外的両方の要因がある。山中にいても明かりの灯る建物や外部と通信できるスマートフォンがある状況にあっては、大自然など感ずるべくも無く、それを利用するほどに私は弱い。大自然あるいは「ウィルダネス」と呼べるような自然は、私が生まれた時から日本にはもう既になかった。黒部や立山はさらなる観光地化の方向で話が進められており、今後より俗化することは間違いないと思われる。そういう流れについて、いち登山者として、いち市民としてどのような態度をとるべきなのか、そして自分自身はどういう登山をするべきなのか、私にはまだ答えが出せないでいる。

弥陀ヶ原を下りラッセルして帰った

なお、1月4日の下山はたっぷり20時までかかりました。本記録の詳細はこちらにまとめましたので、良ければご覧ください。

2018年3月22日木曜日

Vol.116 不帰と私 ~ 後編 ~

こんにちは。雪が消える前に、今回は急きょ不帰とカネイワとの青春白書の続きを、駆け足でお送りしたいと思います。まずは前回までのあらすじです。

・滑り手としての私にとって「カエラズ」とは不帰2峰東面、通称「キャットフェイス」を指す
・「カエラズ」は毎シーズンそれなりに滑られている
・「カエラズ」は危険な斜面ではあるが、死亡事故は今のところない(はずである)
・かつて北海道でアルペンスキーをやっていた私は、他人に滑られている斜面が自分に滑れないはずはないと意気込んだ

2016年2月11日。下から見上げた不帰2峰東面

結論から言えば、私はこの斜面を2015年以降3度滑った。2015、17、18年にそれぞれセンター、北峰、南峰を1度ずつである。これは何もその事実を誇るために言うのではない。後述するように、この3回にはどちらかというと誇りよりも恥や後悔の方が多く含まれている。滑降した3回のうち2回もコケているということが、最もシンプルで明快な理由だ。3回という数字についても、21年かけてこの斜面を滑り込んだローカルがいることや(一体何回滑っているんだろう)、ワンシーズンで3回以上滑るようなマッドマンがいることを考えれば、特段誇るべきことでないことはお分かり頂けると思う。

私がそれでもこのテーマについて書きたいと思ったのは、わずかばかりの経験を通じて得た考えや教訓を、何らかの形で残してもいいのではないか、と思ったからだ。

2015年当時、あるいは今、カエラズを滑るということはどういうことなのか。ロクスノ#38には「1994年前後から、白馬における舎川朋弘(カラースポーツクラブ)のパイオニアワークが始まる」とあり、「初滑降記録が雑誌をにぎわせたのは数年前。今では不帰の斜面がトラックで荒れるようになった」とある(2007年12月までの話)。

パイオニアのイメージ

この頃に比べると、昨今この斜面に何かを懸けるような人は減ったのではないかと思う。初滑降というのは、初登と同じように一種のパイオニアワークであり、そこに価値を見出す人が多少はいるだろうと思うが、ここはもうその舞台ではない。そうなると、あとはどのように滑るかということになると思う。クライミングで、かつて人工登攀で登られたルートが後にフリー化される流れと同じように、スキーでもより良いスタイルで、つまりはノンストップで格好良く(できれば横滑りなんかせずに)滑りたい、という人が出てくるのが自然な流れではないだろうか。

これは1つ目には、過去を繋いでいくと同時にその記録を更新していくという、現代に生まれた我々の宿命であり、もう1つはパイオニアを超えようとする、身も蓋もない言い方をすれば、「あいつより俺の方がすごい(上手い)んだぜ」という自己顕示欲の表出ではないかと思う。この2つ目は、承認欲求と呼んでも差し支えないだろう。

2015年1月30日 センター・逆しの字



自分が付けた記録によると、直近でのまとまった降雪は無く、JANの掲示板はアルパインまで「Moderate」だった。金曜日だったため、人は少なく自分はソロ。12時半前に八方尾根のピークに立つと、キャットフェイスには既に二人の影があった。後に某kyotoskiとカラースポーツの某ガイドであったことが判明する。ファーストトラックを描けない無念と他にも人がいるという安堵感が同居した複雑な心境だった。踏み跡があったためルーファイには苦労しなかったが、それでも八方池山荘から4時間弱かかった(毎回それくらいかかる)。

滑るラインは予め決めていた。キャットフェイスのど真ん中を滑る美しいラインで、万一上部で雪崩たり転んだりしても岩に当たるリスクが少なく、ルンゼに吸い込まれてくれそうな比較的安全?なラインだ。『Further』でJeremy Jones滑ったラインもこれだったと思う。Jeremyの安定したノンストップな滑降、それとYoutubeで見た新井さんの滑りは、この時までに頭に入っていた。滑る時にどんなイメージが頭に入っているのかは重要で、滑走中でも少なからず影響を受けている気がする。

覗き込んだ時の写真

覗き込んだ斜面は思っていたよりやや急で、滑りたかったラインには既にトラックが入っていたが、初志貫徹でこのラインを滑ることに決める。「比較的安全」とは言いつつも上部で転ぶことはできないので、確実にターンを切っていく。「逆しの字」の所でライトに大きく曲がってルンゼに入るのだが、ここの雪面が固くなっており一瞬両板が跳ねた。絶え間なくスラフで磨かれるから、ここは常に硬いのではないかと思う。なんとか耐えてルンゼへ。ここで恐怖から解放され、またルンゼで傾斜が落ちるだろうという希望的観測に基づき、板を縦に落とした。が、ルンゼ内も雪は硬く、傾斜もあり、そして狭かった。数ターンのところでビンディングが解放し、板が両方とも勢いよく流れていった。

板は数メートル下に1本、X状ルンゼをライト側に下りた唐松沢合流手前にもう1本あり、無事回収してその後下山できた。ビンディングの開放値やDynafit Radical STの前レバーを上げておかなかった(アイスバーンで誤開放のあるモデルだった)こと等至らないミスもあり、雪質の読みも甘かった。多少の悔いは残ったものの、恐怖を乗り越えたことでその時は敗北感よりも満足感(安堵感?)が勝っていたような気がする。

なお、私が滑る小一時間前に同じラインを滑走したkyotoskiは、足元から雪崩れたらしい。



2017年03月12日・北峰ゴーストレイトa


2016年は一度も滑らなかった。正直、「一度滑れば十分だろう」というのもあったし、「生き急ぐことも無いだろう」というのもあっただろう。距離を置きたかった、と言えば猫様も理解してくれるだろう。雪の少なかった2016年の1月17日、Dルンゼのドロップポイントで、さらに奥に行くジョニーさんの後ろ姿を見送った。「もしかしたら彼を見るのもこれで最後かも知れないなあ」と思いながら(もちろん、生きて帰って来た)。

次にそこに向かったのは、2017年も3月になってからだった。このシーズンはどのくらいの人が滑ったのかわからないが、1月26日㈭に白馬のガイドたちが一気にカエラズを滑ったのは記憶に新しい。48rider氏によるとこの日7名も2峰を滑ったらしい(3峰C尾根も滑られていた)。ド平日で特に滑ろうと思っていた訳でもなかったので、指を咥えて見ていたのだが、これには心のどこかが刺激されたようで、シーズンも終盤になって焼け木杭に火が付いた。それに、ノンストップでカエラズを滑り切るという当初の目標を、まだ忘れられていなかったのである。

唐松を越える時に顔が引きつる私とパートナー

寒の戻りで久しぶりのパウダーとなった週末、土曜日は一日雪を寝かせることにして小谷の里山で慣らし、そのまま八方池山荘へチェックイン。翌日朝一で2峰に向かうことにした。日程に余裕があれば視界悪化やフラットライトが避けやすいこの方法がベストで、この時は10時前にドロップすることができた。この時のラインはまだ滑ったことが無いという理由で北峰。そのうち最も地形の罠、スラフが避けられそうな比較的安全?なラインを選択した。

何のトラブルも無かった旅行があまり印象に残らないのと同じ様に、この日のことはあまり脳裏に残っていない。Xの交差点に入ったあたりで太ももはヨレヨレだったが、なんとか2分半かけて上から下までこの斜面を滑り切った。疲れ切って唐松沢の真ん中に倒れ込んだ時に思い出したのは、少年時代にアルペンスキーでポールをくぐっていた頃のレース終盤のことだった。

2018年02月9日・南峰オープンb


ここで止めておけば良かったと今では思うものの、ピーカンの日を選んで有休を取った私は、53さんと南峰で滑走準備をしていた。この日は2峰を滑るパーティが他にも2パーティ、合計3パーティ8名もいた。意思決定のプロセスをよく覚えていないが、最終的に南峰を滑ることに決めた。この時私に脳裏にあったのは、やはりカラースポーツの布施さんが大きな弧を描いて滑り落ちていくノースフェイスの動画、そしてumatelevisionの林さんと思われる動画であった。

南峰の斜面は出だしこそ急だが、中間部は40°ちょっとくらいまで傾斜が落ち、また片斜面を広く使うことができる。そしてこの中間部によく雪が溜まっているらしい(この時もそうだった)。見れば見るほどボード向きな斜面のように見えてくる。ほとんど緊張感は無く、一番高い所から板を下に向けて突っ込んだ。最初数ターンは微妙にパックされていたが、スキーヤーズライトに入った途端にどパウに。一気にスピードに乗り、当て込むように思い切り踏み込んだ瞬間、谷足が雪につかまり転がった。アルペンのスラロームで片反(片足反則通過)くらった時のように、その瞬間まで全く転ぶイメージが無かった…。

南峰は下部が核心

10mくらい上方にある板目指して片足スキーでフルラッセルし登り返す。板を回収し、上がった心拍数を整えて再びターンを切る。今度はレフトへ大きくトラバースし、核心の段差へ。ここの雪が微妙に腐っていて、また思っていた以上に傾斜があるため、結構悪い(上記ノースフェイスの動画もそうだが、この部分を省略している動画が多い)。下の崖も対岸から見て想像していたより高さがあるため、失敗はできない。慎重にこなして唐松沢に降り、後に53さんや別パーティの3人も合流した。

結びにかえて

翌日の土曜日、帰りの車の中で私は一人むせび泣いていた。中年のおっさんのどこにこういう感情や涙が残っていたのかと思うように、堰を切ったように感情が溢れ出していた。単純に私は悔しかったのだと思う、できるはずのことができなかったことが。

この時襲われた悔しさというのは、自分でも驚くほど、かつてアルペンスキーの大会で敗れた時のものに似ていた。それは行為そのものが、スラロームにおける転倒の状況に似ていたせいもあるかも知れない。その頃は他者との競争であったため、悔しさの根源に曖昧なところがあった。しかし、今はそれが他人に負けたことによるものではなく、ただ純粋に自分に対する悔しさであったと知ることができた。同時に、私がその頃から大して成長していなかったこと、また根幹に同じような感情や衝動を抱えていたことを知ることができた。

広大な唐松沢

不帰での経験を通じて、私は幼少の頃の自分にたちかえることができた、ということで、全然まとまっていませんが、とりあえずの結びとさせて頂きます。

あと、付け足しになってしまいますが、勝手ながらこのブログの中で何人かの滑り手に触れています。あくまで個人史なので、全く網羅的ではないし、私が知らない「滑りたち」の方が多いでしょう。触れた人の中でも、個人的に面識がある人もいれば、いない人もいます。それぞれに動機があり、経験があります。そう考えると、どこかで勝手にシンパシーを感じてしまいます。

カエラズでの経験が、これからの人生を豊かにしてくれることを願って...。

以下、気づき事項です:

・山荘からドロップポイントまでだいたい4時間はかかる
・キャットフェイスの雪質はかなり様々でパウダーだけではない(カリカリも出てくる)
・なので安易にスピードを出し過ぎない方が良い
・世の中には新たな発想でこの斜面に挑む人もいる
・GoProはヒューマンファクターを高める
・スキー板のセンターは110~120、長さは180以上で、ロッカー形状はほしい
・影響される人は動画を見過ぎない方が良い

2018年3月8日木曜日

Vol.114 不帰と私 ~ 前編 ~

「不帰とは、後立山主稜線上の唐松岳と天狗ノ頭との間に位置し、一峰・二峰・三峰の各ピークと、その北のキレットまでを含めた一帯の総称である」と、登山大系にはある。一方、山を滑る者として「カエラズ」と言うとき、私が真っ先に思い浮かべるのは、滑り手たちの間で通称キャットフェイスの愛称で親しまれ、斜度は平均でも50°近くありそうな雪と岩の壁を備える不帰二峰東壁だ。由来はわからないが、正面から見た時に左に北峰、右に南峰と2つの小ピークが猫の耳、その間にあるフェイスが、猫の顔面を想起させるからだと思われる。


2015年1月15日のキャットフェイス

その山容は「今日はもしかしたらお家に帰れないかも」と思わせるほど厳しく、同時にアメリカンショートヘアのように端正で気品に溢れている。つまり、魅力的なのである。私がその存在を知ったのは、会社を辞めてバムになった4年前の2014年冬だったと思う。右も左もわからなかったバム初年度、八方尾根から対岸のカエラズを見た時、こんなとこを滑る人がいることがにわかには信じられなかったし、できればそのまま目を背けて余生を過ごしたかった。

だが畏れと同時に、他の人に滑れて自分に滑れないはずがないという反発が生じたのを、リトルトマホークは見逃さなかった。急斜面でスキーヤーにできることは、一部の例外を除きそこまで変わらないはずだし、冬の間ほとんど毎日スキーブーツと板を履いて過ごした幼少期を思えば、私よりその時間が長い人の方が少ないだろうと思ったからだ。中学生でアルペン競技をやめ、その後山スキーを始めるまで全くというほど滑らなかったが、幼き頃から放課後はナイターでなまら滑り、土日は大会で道内のスキー場をなまら転々とした。端的に言うと、滑り下りる技術は身体に染み着いており、それにはある程度の自負があった。


昔から板はやっぱりオーストリア

とはいえ、私のアルペンスキーヤー人生は決して明るくなかった。種目によって成績がひどくアンバランスだったし、比較的得意だったスラロームでさえパフォーマンスは不安定で、カタハン(片足反則通過)くらって登り返して遅くなったり、途中棄権したりすることも多かった。ウィンタースポーツ全般に言えそうだが、スキーは道具にかかる費用が半端でなく、家庭にかかる経済的な負担も馬鹿にならなかった。最終的に、自分の将来性を冷静に見極めた結果、自ら競技を離れる決断をした。

今思い返してもこの決断に悔いはない。しかし、この時の挫折から、自分の中に「自分は決して一流にはなれない」という「負け犬の思考」が棲みつき、「常に最悪の場合を想定」して予めそれを避けようとする癖が身についたように思う。「勝ち目のない敵とは戦うな」と頭の中で声がするのは、脳に針を埋め込まれてしまったせいかも知れないし、単に元来怠け者だっただけかも知れない。私はその後の人生で、人よりも努力せずにできる部分だけを伸ばす方法により、学業なり余暇なり仕事なりをやり過ごしてきた。大きい声では言えないが、それは今でも大きくは変わっていない。


2016年2月11日の二峰(唐松沢より撮影)

ただ、山に関しては少し違った。30手前になってから登山を始めた私だったが、山は恐かったから、登山中は常にある程度一生懸命だったし、強制的に努力せざるをえない環境に身を置くことで、省エネ生活で溜まっていた自分のエネルギーを引き出せる気がした。またそこで初めて、そんな自分を認めてやることができた。そんな昭和タイプの山ヤである私は、あくまで自分のレベルでだが「より困難」を自らに課すようになっており、山スキーにおけるキャットフェイスも、そういう文脈からバム2年目に挑戦すべき課題としてリストアップされていた。

まず、名前が挑発的だ。gooの国語辞典で単語を引くと、「ふ‐き【不帰】二度と帰ってこないこと。転じて、死ぬこと」。もうこれだけで超恐い。実話かどうか定かではないらしいが、こういう記述もある。「次は天狗の尾根。その隣の山は身のほど知らぬ者が天狗に近づこうとして帰れなくなったので、不帰の岳といいますぞい…」。 どこか腕試し、度胸試し、あるいは通過儀礼のように、挑戦心をくすぐる逸話である。 己の実力を過信あるいは見誤った者、神(仮にいるものとして)に愛されない者は死ぬ。これこそ、ザ・登山である。

2014年1月24日の不帰。左から唐松、不帰三峰、不帰二峰

既に沢山滑られている。最盛期には一日に二桁の数が滑ったという記録もある。また、私の知る限りキャットフェイスで誰かが死んだという話はない(2018年3月8日時点)。転倒した話や映像はあり(ここには私も陰ながら貢献している)、中には怪我をした人もいるが、死んだという話は聞かない。これはロクスノ#38の記事(
2007年12月なので10年以上も前だが
)にも書かれてるが、それは未だ変わっていないのではないかと思う。とはいえ、それが未来に向かっても変わらないとは言えない。起こりうることは起こる。「転倒する余地があるなら、 転倒する」「パウダーで転んで外れたスキー板が失くなる確率は、板とビンディングの値段に比例する」というのがマーフィーの法則だ。

オーケー、とりあえず死なないとしよう。そして、あみだくじ状に引かれたラインの中から比較的安全に滑れるラインを見出せるとしよう。技術的には、雪がある程度良ければ50°は十分可能だ。行けるに違いない。それが最初のバムシーズンやその後の登山経験、カエラズについて見聞きした情報を私なりに嚙み砕いて得た結論だった。 あとは、 積雪状況を見極める力、そして何よりメンタルだった。精神的な理由で行けない自分を許すことが出来ない私は、車中泊の夜長、何晩も寝返りをうちながら逡巡した後、2015年の1月末、一人で猫ちゃんを目指すことにした。


バム2シーズン目となった2015年

すみません、思いのほか長くなってしまったので、2回に分けて一ヵ月後にまた書きます。長文お付き合い頂きありがとうございました!

出典:
日本登山大系 #6
ROCK&SNOW #38
ハンター✖ハンター #10&#21
北アルプスこの百年

2017年11月29日水曜日

Vol.100 初滑り@立山!

いつもご愛読いただいている皆様、ありがとうございます。このブログが始まって早くも100回目だそうです。記念すべき回なので、本当は発起人の山田にライターを押し付けたかったのですが、なぜか最近ほとんど山に行けていない私にこの大役?が回ってきてしまいました。しかもネタは皆無。「初滑り」ならなんとなくめでたくて100回ぽくなるかと思いましたが、週末はあいにくの荒天。最終的に好天となる月曜日に有休を取って、無理やり初滑りを敢行してきました!

秋の立山は4年ぶり、実はたったの2回目(シーズン通しても3回!)です。本州のバックカントリーで初滑りと言えば立山というイメージがありましたが、ここ2年はあまりの小雪で、高いコストとのバランスが悪く感じ、行かずじまいでした。

しかし今年は序盤から寒気が何度も入り、立山は上々の仕上がり。直前のSNSで良い写真を見せつけられ、もう休んでも「行くしかない」モードに。幸い妻は月曜日に友達と会う予定がある。こういう場合、家を空けても家庭的なダメージは少ない。好天が予想される月曜を休みにして、一路立山へ走った。

月曜日、晴れ渡った立山

私の「秋立」初体験はと言うと、4年前の2013年11月23日です。長く荒天が続いた後にピーカンとなった土曜日で、扇沢のチケット売り場に行列ができ、黒部ダムでは誰もが足早であったように記憶しています。室堂に到着して外に出ると同時に雪崩発生の連絡と注意喚起がありました。7名の方が亡くなられた真砂岳・大走沢雪崩事故でした。

あれから4年が経過し、当時から比べれば少しばかりの経験も積みましたが、依然として秋の立山は少し恐いと感じています。もちろん自然もそうなのですが、どちらかというと行動する自分の方です。いわゆるヒューマンファクターというやつですね(秋山ガイドがわかりやすい記事を書いています)。

立山のケースで「雪崩学者が提唱したF.A.C.E.T.S」のうち、特によく当てはまると思うのは「Acceptance 見栄、虚栄」「Tracks / Scarcity 誰かの足跡」「Social Facilitation 他人の目」でしょうか。やっぱり人が多いと他人の目は気になるし、他の人が良いラインを描いてたら気になるし、SNSで素晴らしい景色やトラックを見せつけられたら刺激(良い意味でも悪い意味でも)されますよ、、、ね。あと、あえてこれに付け加えるなら「Mottainai お金かかってる」。

国見岳の斜面に描かれたボーダーの美しいシュプール


前置きが長くなりましたが、自分がヒューマンファクターのかたまりであることを認識しつつ、単独で入山しました。

初日は始発8:30のバスで出発したが、日曜日で天候不良ということもあり、人は少なめ。車も無料駐車場にとめられました。テント場は室堂平でターミナル至近であるため、トイレや水に困ることはありません。強風の中、急ぎテントを設営して「さあ、出かけよう」と外に出るも、これまで以上の荒れ模様。諦めて一人で飲んだくれようとしていたところ、たまたま隣のテントに知人がおり、お邪魔させて頂きました。久しぶりのエスパース宴会は心が和みました。

こちらは私の宿。夜中は雪に埋まりそうでした


翌朝5時発で予定通り雄山へ。浄土の斜面が気になるのでやや速足で進みます。一ノ越でアイゼンを履き、シートラで雄山まで約2時間でした。東面に風の影響を受けない良いパウダーが溜まっていて、行くしかない感じです。登り返せることを確認していざドロップ。短いが素晴らしい初滑りとなりました。

雄山山頂から雪面へ飛びこむ


そのままタンボ平に吸い込まれそうでしたが、諸々の事情で思い留まり、登り返しました。ここは思っていた以上に斜度があり、少し恐い感じでした。今回からソロ用に導入したエアバッグのトリガーは、いつでも引ける状態にしておきました。しかし、エアバッグがあるからもヒューマンファクターの1つにならないよう、気を付けないといけません。

登り返した後、大汝、折立と縦走する予定でしたが、尾根から見た南側の一ノ越に下りるラインが良さそうだったので、本日2本目を滑ります。ここも広くて快適。一ノ越へ戻り、室堂山荘まで移動。山荘の裏からもう1本短く滑ってまた登り返し。

国見岳から見た剱岳


帰りのことを考え、BCとターミナルに近い場所で4本目、国見岳で5本目をこなし、満足して下山しました。今シーズンも安全に配慮しながら、自分の納得できるような山行を重ねたいと思います。

大観峰から黒部平へ

当日の様子を動画にしましたので、良ければご覧ください。