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2019年1月16日水曜日

Vol.157 八方尾根・今年の積雪状況

今週のブログ担当・谷が多忙につき、二週連続でカネイワがお届けします。連続して山スキーの話題になってしまいますが、何卒お付き合いくださいませ。ところで、前回書き忘れてしまったのですが、私は昨年11月末、シーズンの目標だった「5.12a」を一本(ようやく)登れました!という訳で、今は気分を切り替えてスキーを楽しんでおります。12aがようやく登れた話は、また雪が少なくなって話題に困る頃に報告させていただきます。

八方尾根から見た白馬三山(鑓は左に隠れてます)19/1/13撮影

さて、去る3連休(うち土日の2日間)、白馬に行って参りました。今住んでいる東京の西から白馬村までは高速を利用しても3時間半と実に遠いのですが、それでも行ってしまうのが白馬。それだけの魅力があるのは、3千メートル級の後立山連峰が村から見えるロケーションに加え、アルパインエリアの多彩な滑走斜面、そしてほどよい木の間隔と急斜面を備えたツリーラインでしょうか。この地域は海に近いため冬は天気が悪いものの、その分降雪が多く、天気が悪い日は森林限界以下で遊べるのが良いところと言えるでしょう。ただし、雪があれば...です。

丸山ケルン。19/1/13撮影

では今年の積雪はどうかといいますと...直近では2015-16シーズン並みに少ないような気がします。山もどこか黒々としているし、標高の低いエリアではツリーホールがちらほら…。13日に崩沢を滑った時には、ゲレンデ並みのギタギタ具合とともに堰堤の出方にビックリしました。視界不良であそこに突っ込むと逝ってしまう規模のジャイアント堰堤が丸出しで、全く埋まっていませんでした。天気はというと、単発的な寒気は入るものの、この三連休も三日連続で晴れるという厳冬期にあるまじき有様。そんな白馬は八方尾根近辺から、今回は定点観測でお届けします。

唐松沢標高1300mあたりにある南滝。19/1/13撮影

早速ですが、八方尾根の北面は無名沢より上から滑ってきた場合に出くわす難所・南滝の様子です。13日は手前から複数のトレースがここに突入しており、戻ってきた形跡もなかったため、「行けるだろう」と判断して追従しましたが、こんな感じ(上の写真)です…。写真に写っているスキーヤーがいる辺りは斜度的にもかなり急(体感で55度はある)で、その下は氷が出ています。で、よく見ると誰かが落ちた跡がある(笑)。今後の降雪で状況は変わると思いますが、この時はかなり怖めでした。通過の状況は動画に収めましたので、良ければご覧ください。

3年前の同エリア。16/1/17撮影

そして、これが同じく寡雪だった3年前同時期の写真です。この時は滝を巻いたため画角と写っている範囲が異なりますが、どちらかというと3年前の方が雪が少なく、沢が埋まっていないように見えます。滑って通過した体感でも、3年前は何度かスノーブリッジを渡る必要がありましたが、今回はスムーズに滑れました。

唐松沢下部。16/1/17撮影

そして、私としてはこの時初めて唐松沢の巨大な、氷河のような「万年雪」を見ました(唐松沢は氷河の可能性があるようで、現在調査が進められているようです)。ちなみに、この日我々はDルンゼを滑り、白馬のジョニーさんが不帰2峰を滑りました。いやぁ、よく滑るよなぁ、というような雪付きだったと記憶しています。

不帰2峰。16/1/17撮影
同上。19/1/13撮影

こうして比較するとあんまり変わらない?かも知れませんが、やや今年の方が雪付きが良くて縦溝も少ないようです。なお、私は今回八方池近くにテントで前泊し、早朝からこちらへ向かいました。滑ったのは南峰(写真の左にあるピーク)からS字状に降りるラインです。このラインは2峰の中では上部の斜度が緩く、地形的にも雪崩を避けやすく、最悪転んでもなんとかなりそうなラインのように感じています(あくまで一度転んだ人の個人的な見解です)。

南峰の下部核心。18/2/9撮影
同上。19/1/13撮影

このラインは下部にわかりやすい核心があるのですが、こちらは昨年2月時のものと比べてみました。藪と岩の埋まり具合に多少の違いが見られるようですが、意外とそこまで変わらないような気がします。なお、今回は北峰のドロップポイントも確認しましたが、一昨年の3月にあったような雪のテラスは無く、いまいちどこから侵入して良いのかわからず行きませんでしたが、その翌日ジョニーさんが滑っていたことが判明。相変わらずです!

かりそめの「安全圏」で滑った斜面を振り返るパートナー。19/1/13撮影

滑った後に訪れる安堵と充足感は格別で、パックしていて難しい雪の時もありますが、広大な冬の唐松沢は何度でも来たくなる場所です。もしかしたら今まで歩いたり滑ったりした場所の中でも一番好きかも知れません。今シーズンはあと何回来れるかわかりませんが、短い厳冬期のパウダーシーズンを安全に楽しみたいと思います。

当日の動画です:

2018年3月22日木曜日

Vol.116 不帰と私 ~ 後編 ~

こんにちは。雪が消える前に、今回は急きょ不帰とカネイワとの青春白書の続きを、駆け足でお送りしたいと思います。まずは前回までのあらすじです。

・滑り手としての私にとって「カエラズ」とは不帰2峰東面、通称「キャットフェイス」を指す
・「カエラズ」は毎シーズンそれなりに滑られている
・「カエラズ」は危険な斜面ではあるが、死亡事故は今のところない(はずである)
・かつて北海道でアルペンスキーをやっていた私は、他人に滑られている斜面が自分に滑れないはずはないと意気込んだ

2016年2月11日。下から見上げた不帰2峰東面

結論から言えば、私はこの斜面を2015年以降3度滑った。2015、17、18年にそれぞれセンター、北峰、南峰を1度ずつである。これは何もその事実を誇るために言うのではない。後述するように、この3回にはどちらかというと誇りよりも恥や後悔の方が多く含まれている。滑降した3回のうち2回もコケているということが、最もシンプルで明快な理由だ。3回という数字についても、21年かけてこの斜面を滑り込んだローカルがいることや(一体何回滑っているんだろう)、ワンシーズンで3回以上滑るようなマッドマンがいることを考えれば、特段誇るべきことでないことはお分かり頂けると思う。

私がそれでもこのテーマについて書きたいと思ったのは、わずかばかりの経験を通じて得た考えや教訓を、何らかの形で残してもいいのではないか、と思ったからだ。

2015年当時、あるいは今、カエラズを滑るということはどういうことなのか。ロクスノ#38には「1994年前後から、白馬における舎川朋弘(カラースポーツクラブ)のパイオニアワークが始まる」とあり、「初滑降記録が雑誌をにぎわせたのは数年前。今では不帰の斜面がトラックで荒れるようになった」とある(2007年12月までの話)。

パイオニアのイメージ

この頃に比べると、昨今この斜面に何かを懸けるような人は減ったのではないかと思う。初滑降というのは、初登と同じように一種のパイオニアワークであり、そこに価値を見出す人が多少はいるだろうと思うが、ここはもうその舞台ではない。そうなると、あとはどのように滑るかということになると思う。クライミングで、かつて人工登攀で登られたルートが後にフリー化される流れと同じように、スキーでもより良いスタイルで、つまりはノンストップで格好良く(できれば横滑りなんかせずに)滑りたい、という人が出てくるのが自然な流れではないだろうか。

これは1つ目には、過去を繋いでいくと同時にその記録を更新していくという、現代に生まれた我々の宿命であり、もう1つはパイオニアを超えようとする、身も蓋もない言い方をすれば、「あいつより俺の方がすごい(上手い)んだぜ」という自己顕示欲の表出ではないかと思う。この2つ目は、承認欲求と呼んでも差し支えないだろう。

2015年1月30日 センター・逆しの字



自分が付けた記録によると、直近でのまとまった降雪は無く、JANの掲示板はアルパインまで「Moderate」だった。金曜日だったため、人は少なく自分はソロ。12時半前に八方尾根のピークに立つと、キャットフェイスには既に二人の影があった。後に某kyotoskiとカラースポーツの某ガイドであったことが判明する。ファーストトラックを描けない無念と他にも人がいるという安堵感が同居した複雑な心境だった。踏み跡があったためルーファイには苦労しなかったが、それでも八方池山荘から4時間弱かかった(毎回それくらいかかる)。

滑るラインは予め決めていた。キャットフェイスのど真ん中を滑る美しいラインで、万一上部で雪崩たり転んだりしても岩に当たるリスクが少なく、ルンゼに吸い込まれてくれそうな比較的安全?なラインだ。『Further』でJeremy Jones滑ったラインもこれだったと思う。Jeremyの安定したノンストップな滑降、それとYoutubeで見た新井さんの滑りは、この時までに頭に入っていた。滑る時にどんなイメージが頭に入っているのかは重要で、滑走中でも少なからず影響を受けている気がする。

覗き込んだ時の写真

覗き込んだ斜面は思っていたよりやや急で、滑りたかったラインには既にトラックが入っていたが、初志貫徹でこのラインを滑ることに決める。「比較的安全」とは言いつつも上部で転ぶことはできないので、確実にターンを切っていく。「逆しの字」の所でライトに大きく曲がってルンゼに入るのだが、ここの雪面が固くなっており一瞬両板が跳ねた。絶え間なくスラフで磨かれるから、ここは常に硬いのではないかと思う。なんとか耐えてルンゼへ。ここで恐怖から解放され、またルンゼで傾斜が落ちるだろうという希望的観測に基づき、板を縦に落とした。が、ルンゼ内も雪は硬く、傾斜もあり、そして狭かった。数ターンのところでビンディングが解放し、板が両方とも勢いよく流れていった。

板は数メートル下に1本、X状ルンゼをライト側に下りた唐松沢合流手前にもう1本あり、無事回収してその後下山できた。ビンディングの開放値やDynafit Radical STの前レバーを上げておかなかった(アイスバーンで誤開放のあるモデルだった)こと等至らないミスもあり、雪質の読みも甘かった。多少の悔いは残ったものの、恐怖を乗り越えたことでその時は敗北感よりも満足感(安堵感?)が勝っていたような気がする。

なお、私が滑る小一時間前に同じラインを滑走したkyotoskiは、足元から雪崩れたらしい。



2017年03月12日・北峰ゴーストレイトa


2016年は一度も滑らなかった。正直、「一度滑れば十分だろう」というのもあったし、「生き急ぐことも無いだろう」というのもあっただろう。距離を置きたかった、と言えば猫様も理解してくれるだろう。雪の少なかった2016年の1月17日、Dルンゼのドロップポイントで、さらに奥に行くジョニーさんの後ろ姿を見送った。「もしかしたら彼を見るのもこれで最後かも知れないなあ」と思いながら(もちろん、生きて帰って来た)。

次にそこに向かったのは、2017年も3月になってからだった。このシーズンはどのくらいの人が滑ったのかわからないが、1月26日㈭に白馬のガイドたちが一気にカエラズを滑ったのは記憶に新しい。48rider氏によるとこの日7名も2峰を滑ったらしい(3峰C尾根も滑られていた)。ド平日で特に滑ろうと思っていた訳でもなかったので、指を咥えて見ていたのだが、これには心のどこかが刺激されたようで、シーズンも終盤になって焼け木杭に火が付いた。それに、ノンストップでカエラズを滑り切るという当初の目標を、まだ忘れられていなかったのである。

唐松を越える時に顔が引きつる私とパートナー

寒の戻りで久しぶりのパウダーとなった週末、土曜日は一日雪を寝かせることにして小谷の里山で慣らし、そのまま八方池山荘へチェックイン。翌日朝一で2峰に向かうことにした。日程に余裕があれば視界悪化やフラットライトが避けやすいこの方法がベストで、この時は10時前にドロップすることができた。この時のラインはまだ滑ったことが無いという理由で北峰。そのうち最も地形の罠、スラフが避けられそうな比較的安全?なラインを選択した。

何のトラブルも無かった旅行があまり印象に残らないのと同じ様に、この日のことはあまり脳裏に残っていない。Xの交差点に入ったあたりで太ももはヨレヨレだったが、なんとか2分半かけて上から下までこの斜面を滑り切った。疲れ切って唐松沢の真ん中に倒れ込んだ時に思い出したのは、少年時代にアルペンスキーでポールをくぐっていた頃のレース終盤のことだった。

2018年02月9日・南峰オープンb


ここで止めておけば良かったと今では思うものの、ピーカンの日を選んで有休を取った私は、53さんと南峰で滑走準備をしていた。この日は2峰を滑るパーティが他にも2パーティ、合計3パーティ8名もいた。意思決定のプロセスをよく覚えていないが、最終的に南峰を滑ることに決めた。この時私に脳裏にあったのは、やはりカラースポーツの布施さんが大きな弧を描いて滑り落ちていくノースフェイスの動画、そしてumatelevisionの林さんと思われる動画であった。

南峰の斜面は出だしこそ急だが、中間部は40°ちょっとくらいまで傾斜が落ち、また片斜面を広く使うことができる。そしてこの中間部によく雪が溜まっているらしい(この時もそうだった)。見れば見るほどボード向きな斜面のように見えてくる。ほとんど緊張感は無く、一番高い所から板を下に向けて突っ込んだ。最初数ターンは微妙にパックされていたが、スキーヤーズライトに入った途端にどパウに。一気にスピードに乗り、当て込むように思い切り踏み込んだ瞬間、谷足が雪につかまり転がった。アルペンのスラロームで片反(片足反則通過)くらった時のように、その瞬間まで全く転ぶイメージが無かった…。

南峰は下部が核心

10mくらい上方にある板目指して片足スキーでフルラッセルし登り返す。板を回収し、上がった心拍数を整えて再びターンを切る。今度はレフトへ大きくトラバースし、核心の段差へ。ここの雪が微妙に腐っていて、また思っていた以上に傾斜があるため、結構悪い(上記ノースフェイスの動画もそうだが、この部分を省略している動画が多い)。下の崖も対岸から見て想像していたより高さがあるため、失敗はできない。慎重にこなして唐松沢に降り、後に53さんや別パーティの3人も合流した。

結びにかえて

翌日の土曜日、帰りの車の中で私は一人むせび泣いていた。中年のおっさんのどこにこういう感情や涙が残っていたのかと思うように、堰を切ったように感情が溢れ出していた。単純に私は悔しかったのだと思う、できるはずのことができなかったことが。

この時襲われた悔しさというのは、自分でも驚くほど、かつてアルペンスキーの大会で敗れた時のものに似ていた。それは行為そのものが、スラロームにおける転倒の状況に似ていたせいもあるかも知れない。その頃は他者との競争であったため、悔しさの根源に曖昧なところがあった。しかし、今はそれが他人に負けたことによるものではなく、ただ純粋に自分に対する悔しさであったと知ることができた。同時に、私がその頃から大して成長していなかったこと、また根幹に同じような感情や衝動を抱えていたことを知ることができた。

広大な唐松沢

不帰での経験を通じて、私は幼少の頃の自分にたちかえることができた、ということで、全然まとまっていませんが、とりあえずの結びとさせて頂きます。

あと、付け足しになってしまいますが、勝手ながらこのブログの中で何人かの滑り手に触れています。あくまで個人史なので、全く網羅的ではないし、私が知らない「滑りたち」の方が多いでしょう。触れた人の中でも、個人的に面識がある人もいれば、いない人もいます。それぞれに動機があり、経験があります。そう考えると、どこかで勝手にシンパシーを感じてしまいます。

カエラズでの経験が、これからの人生を豊かにしてくれることを願って...。

以下、気づき事項です:

・山荘からドロップポイントまでだいたい4時間はかかる
・キャットフェイスの雪質はかなり様々でパウダーだけではない(カリカリも出てくる)
・なので安易にスピードを出し過ぎない方が良い
・世の中には新たな発想でこの斜面に挑む人もいる
・GoProはヒューマンファクターを高める
・スキー板のセンターは110~120、長さは180以上で、ロッカー形状はほしい
・影響される人は動画を見過ぎない方が良い

2018年3月8日木曜日

Vol.114 不帰と私 ~ 前編 ~

「不帰とは、後立山主稜線上の唐松岳と天狗ノ頭との間に位置し、一峰・二峰・三峰の各ピークと、その北のキレットまでを含めた一帯の総称である」と、登山大系にはある。一方、山を滑る者として「カエラズ」と言うとき、私が真っ先に思い浮かべるのは、滑り手たちの間で通称キャットフェイスの愛称で親しまれ、斜度は平均でも50°近くありそうな雪と岩の壁を備える不帰二峰東壁だ。由来はわからないが、正面から見た時に左に北峰、右に南峰と2つの小ピークが猫の耳、その間にあるフェイスが、猫の顔面を想起させるからだと思われる。


2015年1月15日のキャットフェイス

その山容は「今日はもしかしたらお家に帰れないかも」と思わせるほど厳しく、同時にアメリカンショートヘアのように端正で気品に溢れている。つまり、魅力的なのである。私がその存在を知ったのは、会社を辞めてバムになった4年前の2014年冬だったと思う。右も左もわからなかったバム初年度、八方尾根から対岸のカエラズを見た時、こんなとこを滑る人がいることがにわかには信じられなかったし、できればそのまま目を背けて余生を過ごしたかった。

だが畏れと同時に、他の人に滑れて自分に滑れないはずがないという反発が生じたのを、リトルトマホークは見逃さなかった。急斜面でスキーヤーにできることは、一部の例外を除きそこまで変わらないはずだし、冬の間ほとんど毎日スキーブーツと板を履いて過ごした幼少期を思えば、私よりその時間が長い人の方が少ないだろうと思ったからだ。中学生でアルペン競技をやめ、その後山スキーを始めるまで全くというほど滑らなかったが、幼き頃から放課後はナイターでなまら滑り、土日は大会で道内のスキー場をなまら転々とした。端的に言うと、滑り下りる技術は身体に染み着いており、それにはある程度の自負があった。


昔から板はやっぱりオーストリア

とはいえ、私のアルペンスキーヤー人生は決して明るくなかった。種目によって成績がひどくアンバランスだったし、比較的得意だったスラロームでさえパフォーマンスは不安定で、カタハン(片足反則通過)くらって登り返して遅くなったり、途中棄権したりすることも多かった。ウィンタースポーツ全般に言えそうだが、スキーは道具にかかる費用が半端でなく、家庭にかかる経済的な負担も馬鹿にならなかった。最終的に、自分の将来性を冷静に見極めた結果、自ら競技を離れる決断をした。

今思い返してもこの決断に悔いはない。しかし、この時の挫折から、自分の中に「自分は決して一流にはなれない」という「負け犬の思考」が棲みつき、「常に最悪の場合を想定」して予めそれを避けようとする癖が身についたように思う。「勝ち目のない敵とは戦うな」と頭の中で声がするのは、脳に針を埋め込まれてしまったせいかも知れないし、単に元来怠け者だっただけかも知れない。私はその後の人生で、人よりも努力せずにできる部分だけを伸ばす方法により、学業なり余暇なり仕事なりをやり過ごしてきた。大きい声では言えないが、それは今でも大きくは変わっていない。


2016年2月11日の二峰(唐松沢より撮影)

ただ、山に関しては少し違った。30手前になってから登山を始めた私だったが、山は恐かったから、登山中は常にある程度一生懸命だったし、強制的に努力せざるをえない環境に身を置くことで、省エネ生活で溜まっていた自分のエネルギーを引き出せる気がした。またそこで初めて、そんな自分を認めてやることができた。そんな昭和タイプの山ヤである私は、あくまで自分のレベルでだが「より困難」を自らに課すようになっており、山スキーにおけるキャットフェイスも、そういう文脈からバム2年目に挑戦すべき課題としてリストアップされていた。

まず、名前が挑発的だ。gooの国語辞典で単語を引くと、「ふ‐き【不帰】二度と帰ってこないこと。転じて、死ぬこと」。もうこれだけで超恐い。実話かどうか定かではないらしいが、こういう記述もある。「次は天狗の尾根。その隣の山は身のほど知らぬ者が天狗に近づこうとして帰れなくなったので、不帰の岳といいますぞい…」。 どこか腕試し、度胸試し、あるいは通過儀礼のように、挑戦心をくすぐる逸話である。 己の実力を過信あるいは見誤った者、神(仮にいるものとして)に愛されない者は死ぬ。これこそ、ザ・登山である。

2014年1月24日の不帰。左から唐松、不帰三峰、不帰二峰

既に沢山滑られている。最盛期には一日に二桁の数が滑ったという記録もある。また、私の知る限りキャットフェイスで誰かが死んだという話はない(2018年3月8日時点)。転倒した話や映像はあり(ここには私も陰ながら貢献している)、中には怪我をした人もいるが、死んだという話は聞かない。これはロクスノ#38の記事(
2007年12月なので10年以上も前だが
)にも書かれてるが、それは未だ変わっていないのではないかと思う。とはいえ、それが未来に向かっても変わらないとは言えない。起こりうることは起こる。「転倒する余地があるなら、 転倒する」「パウダーで転んで外れたスキー板が失くなる確率は、板とビンディングの値段に比例する」というのがマーフィーの法則だ。

オーケー、とりあえず死なないとしよう。そして、あみだくじ状に引かれたラインの中から比較的安全に滑れるラインを見出せるとしよう。技術的には、雪がある程度良ければ50°は十分可能だ。行けるに違いない。それが最初のバムシーズンやその後の登山経験、カエラズについて見聞きした情報を私なりに嚙み砕いて得た結論だった。 あとは、 積雪状況を見極める力、そして何よりメンタルだった。精神的な理由で行けない自分を許すことが出来ない私は、車中泊の夜長、何晩も寝返りをうちながら逡巡した後、2015年の1月末、一人で猫ちゃんを目指すことにした。


バム2シーズン目となった2015年

すみません、思いのほか長くなってしまったので、2回に分けて一ヵ月後にまた書きます。長文お付き合い頂きありがとうございました!

出典:
日本登山大系 #6
ROCK&SNOW #38
ハンター✖ハンター #10&#21
北アルプスこの百年

2018年1月18日木曜日

Vol.107 二度目のニペソツ

新井氏が見たであろうニペソツ山の東壁

僕がニペソツ山に登る理由はだいたい100個くらいあって、1つ目は新井裕己がニペソツに遺した「Bum's Life」を滑ってもいいかな、なんて思っていること。あ、すみません、1つしかありませんでした…。

ニペソツ山は中高年に大人気な「日本百名山」にこそ選ばれなかったものの、深田久弥をして「日本百名山を出した時、私はまだこの山を見ていなかった。ニペソツには申し訳なかった」と言わしめた「立派な山」である。北海道の東大雪に位置し、標高も2,013mと北海道では高い部類に属す。山名は「アイヌ語のニペソチnipes-ot-i「シナノキの樹皮(内皮)・~が群在する・もの」が略されて伝わったとかいう説があるとウィキペディアに載っている。

高校を卒業するまで北海道で育った私だが、当時山には何の興味もなく「ニペソツ」の「ぺ」の字も聞いたことがなかったし、初めて見たのはたぶんGoogleとかで、一昨年の12月に初めて訪れるまで実際に見たこともなかった。そんな私がこの山を登りたい、滑ってみたいと思ったのは、他でもなく2003年1月に新井裕己がニペソツ山東壁に引いたという「Bum's Life」という滑走ラインをなぞってみたかったからである。

橋を渡り尾根に取り付くと、朝陽が差し込んだ

私の動機をより細かく分けるならば、1つ目は新井裕己という人物に、どこかシンパシーのようなものを感じていたこと、2つ目は初滑降から15年が経過した今でも未だに一人にしか滑られていないラインであること、3つ目はこれが日本の急斜面滑降における最難課題の1つと目されること、等である。私はこの男が命を削りながら(少なくとも左膝脛骨内顆骨折しながら)この壁に拓いた滑降ラインを実際に滑ることで、彼の体験のごく一部でも追体験したいと思っていたし、またその難易度を体感し、確認してみたかったのだ。

新井氏が遺した記録は、少なくとも私にとっては伝説のようなものであり、他に滑っている人がおらず、滑走時に撮影された写真や動画も見当たらない、既存ルートでありながら未知の要素を孕んだ好奇心を刺激するものであった。

私が初めてニペソツに挑んだのは一昨年の年末だった。この時は登路を誤り、うかつにもデルタルンゼ上部で雪崩のトリガーを引き、50~100m流され仲間の一人が肩を脱臼し、敗退の憂き目にあった。この時は件のルートを滑るというよりは「見てみたい」というくらいの心づもりであったが、一度敗退したことでこの山に対する想いが強くなり、次に行くときは…と次第に考えるようになっていた。

前回仰ぎ見た東壁

そして2017年大晦日、前回敗退した時と同じメンバーで、今回は異なるアプローチからニペソツに向かった。アプローチは前回同様幌加ダムから。橋を渡って今回は尾根に取り付く。2003年に新井さんが辿ったのと同じルートだ。取付きからしばらく作業道の名残と思われる開けた箇所があり、斜度も緩いため歩きやすいスキー向きの尾根だった。

高度を上げると山頂から件のラインが見える。確かに雪はつながっているように見えるが凸凹しており、万一滑り出しで転べば崖へ転落してもおかしくない。許容できるリスクの範囲を超えているように思えた。一方、東稜を挟んで手前側に落ちるきれいな沢があり、ここは私が知る限り滑降の記録は無かった。場合によってはここでもいいかな、と考えた時点で「Bum's life」への挑戦は終わっていたかも知れない。

斜面をトラバースして山頂に向かう

主稜線に出て山頂まで標高差で200mくらいの所までシールで乗り上げた。尾根が細くなる前にスキーを担いで山頂に向かう。尾根は基本的に登りやすく、一部雪壁があるが、特に難しくはない。ここまで風はほとんどなく、空は濃紺。これほどの好コンディションもなかなか無いだろう。無事山頂に到着した。

山頂でロープを出し斜面を覗き込もうとするが、どこまでが雪庇かわからず、下を見るまで至らなかった。代わって別のメンバーが覗くが「60度近い」崖で雪も固い。おまけにその下は200mくらい岩壁なので落ちれば死ぬ(可能性が高い)。ロープを出して確認したが明らかなエントリーポイントすら見つからなかった。精神的にここを滑るだけの準備はできていなかったようだ。結局、アプローチ中に見た沢を滑ることにして往路を戻る。

山頂からスカイラインを経由し、写真右のルンゼに入るのが「Bum's life」と見られるライン

戻り際、東壁にあるもう1つのルートを覗いたが、こちらは出だしこそ急であるものの、客観的な危険が少なく、この日のコンディションでも滑れそうだった。なお、このルートはField Earthのライダーによって滑られており、つい最近もソロのスノーボーダーによって滑られている。ちょうど上の写真を撮った場所にあるのがそのドロップポイントだが、元々東壁を滑るということ自体には強いこだわりがなく、パーティの都合としてもここを滑るのは適当でなかったので、今回は見送ることにした。

板を他の3人より下部に残置した1人と別れ、1900mあたりから滑り始める。雪はパックしており、部分的にアイスバーンが見えたので、安全と思われるラインで下りる。2ピッチ目で重めなパウを楽しむが、やがてすぐ滝に行き当たった。雪に覆われているが廊下状に10mほど細く続いているため、太めの木を支点に60mロープで懸垂する。落ち口までは届かなかったので最後は1mくらいのジャンプが必要だった。滝が終わると沢は広くなり、ここで全員が合流することができた。

赤が「Bum's life」と思われるライン。オレンジは出だしがもう少し安全に見えるライン。緑は「Field Earth」のライン(写真には写っていない)。青が今回滑降したライン(別の沢に出る)。

そこからトラバースし沢を越え、あとは去年のアプローチルートを戻るだけ。最後はヘッデン下山だったが、念願のニペソツ登頂もでき完全燃焼の一日となった。凡庸なラインだが万一初滑降であれば自身の平凡な人生にちなんで「Papa's Life」と名付けたい、とか言ってみる。

正直、山頂より少し下ったところにある、大して急でもボールドでもなく、比較的安全だが創造的ではない、いわば妥協の産物である。とはいえ、懸垂下降を排して滝を直滑降で乗り切れば、つまり滑り方によってはそれなりに格好がつかなくもない。パパの人生なんてそんなもんだろうという、のが1つ。2つ目はパパの命はバムの命より重いんだぜということ。そんな理由でこの名前を選んでみた。

いずれにしてもパパだからあのラインを滑れなかったのではなく(それは単なる言い訳に過ぎない)、弱いから滑れなかったことは間違いない。あるいは、もっと雪が付くなどして条件が良いときに、滑れる時がくるかも知れない。それを誰が滑るかはさておき、私はそれをまだ望んでいる気がする。

山頂から見た十勝連峰

最後に、今回件のルートを個人的に観察した範囲でいくつか危険個所について言及したい。1つ目は山頂からのドロップポイント。ほぼ崖と言ってよく、不帰3峰C尾根の出だしくらいの斜度の下に崖があり、ミスれば生命に係わる(と私は思う)。2つ目は扇状に沢が集まったところにある崖。新井氏はここをクリフジャンプでクリアしているが、骨折を負うくらいのリスクがある箇所で、運が悪ければ自力下山が困難になることから、同じ方法は有り得ないと考える。私はそこまで行ければその場で判断しようと思っていたが、今回の山行で懸垂用ロープと支点工作用のギアを持参していた。もし新井氏がロープを持っていれば、そうしたであろうと考えるからだ。とはいえ、15年以上経過した後で、初滑降者より「良くない」スタイルでリピートすること自体に記録的な価値は無いだろう。あくまで自己満足の世界である。

初めて見たニペソツ東壁

あと99個くらいあった冬にニペソツを訪れる理由を忘れてしまった。最初に敗退した直後の2017年1月の三連休、山スキーの先生と話す機会があり、当時の行動をいくつか注意された。その時、私はニペソツに向かった理由を話していなかったが、当然彼はお見通しであったのだろう。「雪が良ければどんな急斜面でも滑れる」「100回に1回失敗するような滑降をしていては、いつか命を落とす」というのが先生の口癖で、あまり1つのことにとらわれてはいけない、というのがその趣旨であったと思う。「お前は新井に憑りつかれてるんじゃないのか」とも言っていた。あるいは、そういう解釈も成り立つのかも知れない。

私はあの山頂から滑った人がいることが、いまだによく呑み込めていない。ただ新井氏が書いた内容の具体性に私が実際に見てきたものを照らしてみても、ほとんど疑いのない事実のように思う。彼は確かにそこを滑ったらしい。いずれにしても、それはまだそこにあって、誰かに滑られるのを待っているような気がする。そう考えると、心が震えるのである。



2017年11月29日水曜日

Vol.100 初滑り@立山!

いつもご愛読いただいている皆様、ありがとうございます。このブログが始まって早くも100回目だそうです。記念すべき回なので、本当は発起人の山田にライターを押し付けたかったのですが、なぜか最近ほとんど山に行けていない私にこの大役?が回ってきてしまいました。しかもネタは皆無。「初滑り」ならなんとなくめでたくて100回ぽくなるかと思いましたが、週末はあいにくの荒天。最終的に好天となる月曜日に有休を取って、無理やり初滑りを敢行してきました!

秋の立山は4年ぶり、実はたったの2回目(シーズン通しても3回!)です。本州のバックカントリーで初滑りと言えば立山というイメージがありましたが、ここ2年はあまりの小雪で、高いコストとのバランスが悪く感じ、行かずじまいでした。

しかし今年は序盤から寒気が何度も入り、立山は上々の仕上がり。直前のSNSで良い写真を見せつけられ、もう休んでも「行くしかない」モードに。幸い妻は月曜日に友達と会う予定がある。こういう場合、家を空けても家庭的なダメージは少ない。好天が予想される月曜を休みにして、一路立山へ走った。

月曜日、晴れ渡った立山

私の「秋立」初体験はと言うと、4年前の2013年11月23日です。長く荒天が続いた後にピーカンとなった土曜日で、扇沢のチケット売り場に行列ができ、黒部ダムでは誰もが足早であったように記憶しています。室堂に到着して外に出ると同時に雪崩発生の連絡と注意喚起がありました。7名の方が亡くなられた真砂岳・大走沢雪崩事故でした。

あれから4年が経過し、当時から比べれば少しばかりの経験も積みましたが、依然として秋の立山は少し恐いと感じています。もちろん自然もそうなのですが、どちらかというと行動する自分の方です。いわゆるヒューマンファクターというやつですね(秋山ガイドがわかりやすい記事を書いています)。

立山のケースで「雪崩学者が提唱したF.A.C.E.T.S」のうち、特によく当てはまると思うのは「Acceptance 見栄、虚栄」「Tracks / Scarcity 誰かの足跡」「Social Facilitation 他人の目」でしょうか。やっぱり人が多いと他人の目は気になるし、他の人が良いラインを描いてたら気になるし、SNSで素晴らしい景色やトラックを見せつけられたら刺激(良い意味でも悪い意味でも)されますよ、、、ね。あと、あえてこれに付け加えるなら「Mottainai お金かかってる」。

国見岳の斜面に描かれたボーダーの美しいシュプール


前置きが長くなりましたが、自分がヒューマンファクターのかたまりであることを認識しつつ、単独で入山しました。

初日は始発8:30のバスで出発したが、日曜日で天候不良ということもあり、人は少なめ。車も無料駐車場にとめられました。テント場は室堂平でターミナル至近であるため、トイレや水に困ることはありません。強風の中、急ぎテントを設営して「さあ、出かけよう」と外に出るも、これまで以上の荒れ模様。諦めて一人で飲んだくれようとしていたところ、たまたま隣のテントに知人がおり、お邪魔させて頂きました。久しぶりのエスパース宴会は心が和みました。

こちらは私の宿。夜中は雪に埋まりそうでした


翌朝5時発で予定通り雄山へ。浄土の斜面が気になるのでやや速足で進みます。一ノ越でアイゼンを履き、シートラで雄山まで約2時間でした。東面に風の影響を受けない良いパウダーが溜まっていて、行くしかない感じです。登り返せることを確認していざドロップ。短いが素晴らしい初滑りとなりました。

雄山山頂から雪面へ飛びこむ


そのままタンボ平に吸い込まれそうでしたが、諸々の事情で思い留まり、登り返しました。ここは思っていた以上に斜度があり、少し恐い感じでした。今回からソロ用に導入したエアバッグのトリガーは、いつでも引ける状態にしておきました。しかし、エアバッグがあるからもヒューマンファクターの1つにならないよう、気を付けないといけません。

登り返した後、大汝、折立と縦走する予定でしたが、尾根から見た南側の一ノ越に下りるラインが良さそうだったので、本日2本目を滑ります。ここも広くて快適。一ノ越へ戻り、室堂山荘まで移動。山荘の裏からもう1本短く滑ってまた登り返し。

国見岳から見た剱岳


帰りのことを考え、BCとターミナルに近い場所で4本目、国見岳で5本目をこなし、満足して下山しました。今シーズンも安全に配慮しながら、自分の納得できるような山行を重ねたいと思います。

大観峰から黒部平へ

当日の様子を動画にしましたので、良ければご覧ください。



2016年8月15日月曜日

Vol.33 カナダ式ベースキャンプ型のスキートリップ

ヘリで入山しベースキャンプを設置
Vol.31、谷剛士の記事に若干被るネタですが、今回紹介するのはカナダでベースキャンプを利用しての氷河スキーについてです。前々回彼が紹介したのは、同じベースキャンプをしながらアルパインクライミングをするものでしたが、今回はそのスキー版です。もちろん紹介していたワディングトンもベースキャンプ型スキーのメッカの場所なので、同じことができます。はい。

さて、ベースキャンプ型とはなんでしょうか?読んで字のごとくテントを張りっぱなしにして、そこをベースとして付近のエリアを滑るというものです。ただ、テントを担いでアプローチとなると時間も体力も消費してしまいますね。そのような形態は以前紹介したスキー縦走(トラバース)というスタイルになります。つまり滑る部分だけを楽しみたいので入山にはヘリを使用する、ただロッジに宿泊するようなお金はない、なのでテントで寝泊まりする。という素晴らしいスタイル、これが”ベースキャンプ型スキートリップ”なのですね。

ヘリでの入山
入山はヘリコプターを使用します。このヘリが最もコストがかかる部分になります。ヘリは通常1時間飛ばすと2500ドルぐらいします。もちろん行きと帰りは別の日になるので、その倍のコストがかかるということになります。つまりヘリパッドから1時間離れた場所でベースを張りたい場合は、往復で5000ドル。ギアを入れると通常ヘリには4名乗るのがやっとなので、一人頭1225ドルヘリ台がかかってしまうということになります。
きょうび1000ドルもあればカナダ~日本往復できる時代にこれは高い! ということでなるべくヘリパッドから近い氷河地帯を選定する必要があるわけです。

食材をたくさん持っていけるのがヘリ入山の最大のメリット

酒も満タン持参可能!
氷河上で飲むビールはなんと美味しいのでしょう
場所の選定
上述のとおりヘリ代の関係(大金持ちでない限り)で、目的地に氷河があれば良いというわけではありません。場所を選ぶ上で重要なのは、
1. ヘリパッドから近い(片道30分程度)
2. 近くにヘリスキーやバックカントリーロッジなどが運営してヘリ代をシェアできる可能性がある
3. 人気のあるエリアで、行きか帰りに別のグループが入るように算段できる。結果片道分は半額になるので。
4. そして滑るのにたっぷりの地形がある

となります。安いところで往復1人400ドルぐらいまで下げれますね。
これが高いと思うかやすいと思うかはアナタ次第!

オススメエリア
上記の条件を踏まえた結果カナダでのベースキャンプ型のトリップに最適な場所はどこでしょうか?

1. Freshfield Icefields

山行記録はこちらから

ゴールデンからヘリで30分ほどにあるこのエリアはどでかい氷原の周りに、3000峰がずらっとならんでおり、この辺では一番オススメでしょう。
近くにミスタロッジが運営しているので日曜日の彼らのフライト日に合わせると安く行けることが多いです。また、他のパーティーもよく利用しますね。
最近ではSherpa Cinemmasのムービーでワンセグメント分たっぷりこの氷原で撮影していた事が記憶にあたらしいですね。ちなみに行ったことがある自分がムービー見ても、どこを滑ったのかわからないぐらい、彼らが滑る場所は異次元です。

ムービーはこちら

Freshfieldの概念図
登れる山達
氷河上にテントを張る 
テントから出ればすぐにワイルドなエリア

氷河といえばクレバスですね 

我が家からの景色

エリアを代表する山、その名もMt.Freshfield

テントサイトは真ん中のクレバス帯の上、んー遠くまで来たもんだ

Mt.Freshfield頂上

天気が悪い時はテントで宴会

4月マイナス15度。これがカナダの氷河です

如何に居心地をよくテン場を作るかもベースキャンプ型のキーポイントです
食材をたくさん持っていけるのがヘリ入山の最大のメリット
 2. Adamants Range area

山行記録はこちらから

これまたゴールデン付近からのフライトです。やはり30分ぐらいかな? 近くにACC(カナダ山岳会)のFairly Meadowという小屋があるので、そこのグループとシェア可能です。氷河はやはり大きく、滑りももちろん、花崗岩の山々なので登れる山もたらふくあります。Great Cairn Hutという6名用の小屋に宿泊もありですね。数年前はArcTeryxのアスリートたちが我々の後に入山して撮影していました。
 ヘリで入山

キャンプ地に滑り降りる

 人と比べると山のスケールがでます

 素晴らしい花崗岩の山に囲まれております

 クレバス帯

迷路のようなクレバスでした

我らのベースキャンプ

 登頂ももちろん可能

この景色で滑ってみたいですよね?

雪はディープというわけではなく滑りやすい新雪
 おまけでGreat Cain Hutの紹介
テント無しでここに泊まるのももちろんあり

Hutの内部
3. Clemenceau Area
数年前日本人のグループがカヌーでアプローチして、1週間かけてアプローチしてその後Mt. Clemenceauを滑る計画を実行しましたね。軟弱者はこの部分をヘリでショートカット可能です。ヘリはレベルストーク付近から。Mica Heliという会社が近くにいますが、ヘリ代自体は他より高いのが、玉にキズ。
このエリアを通った時の記録はこちら

その他
谷が紹介したWaddington AreaやYukon準州にある大氷原エリアで5000m峰を狙って滑るとか、アラスカとか、まー他にも色々あるわけです。

スキー縦走は荷物が重い、でもロッジ滞在は金がかかる、そもそもカナダの大自然を満喫しながら滑りたい。そんな人におすすめのスタイルがこの”ベースキャンプ型スキートリップ”です。お試しあれ!