チーム「Link∞UP」は日本と北米の‘愉快で有益な’「マウンテンライフ」情報を日本と英語圏において共有をすること。 その生活を‘一生懸命楽しんでいる人達’のコネクション強化を図ることを目的に活動しています。 日本や北米でのマウンテンライフについて情報の欲しい方や私達に興味のある方はお気軽にご連絡下さい。

2017年5月16日火曜日

Vol.72 春の穂高を滑る


ご無沙汰しております、育児の鬼・カネイワです。

去るGWは妻の両親が上京し我が子を可愛がってくれたので、その間2日ほどではありましたが山へ出かけることが出来ました。そうです、涸沢であります。

こちらの奥に写っているのは仲間の Taboo 氏が青春時代を過ごした涸沢小屋です。今回は深雪を割って歩くラッセル馬・モーゼ、強くて賢い安曇野女子・AKさん、そして私の3人パーティでテント泊でしたが、夜の帳が下り小屋に明かりが灯り始めると、涸沢小屋の宿泊客が羨ましくなるほど素敵でございました。

そんな自分を偽るため、「衣食住全部担いでやるのがオレのヤマだ」なんて昭和みたいなことを言ってみるものの、そんな空気の振動はただ虚しくテントの壁に吸収されるのでありました。


ともあれ入山です。恥ずかしながらGWの上高地は初で 涸沢に泊まるのも初めてです。穂高には昨年2度滑りに来たものの、いずれも2月、3月の人がほとんどいない時期でした。その時はそれぞれ白出のコルから涸沢奥穂から扇沢を滑りました。

人に会いたくないから山に入るわけではないですが、もともと社会不適合者気味の私は、そもそも人が多い所が大嫌いで、よってGWの涸沢などは通常選択肢には入りません。

今季は一度も穂高方面に来ていなかったこと、この時期2日で滑りを楽しめる場所が限られていること、滑りたいルートがあったこと等から、意を決して涸沢行きを断行したのであります。


こちらが河童橋から見た奥穂とその山頂から岳沢に落ちる扇沢です。この時期途中に黒い岩が露出していますが、真冬は真っ白で美しく、そして威圧的な斜面になります。一時期ここでパウダーを当てることを夢見ておりましたが、標高、斜面の向き(南面)、風、地形的なリスク等を考慮すると、これをやるにはライフがもう1つくらい必要だという結論に至りました。

なお、この沢はかつて北穂の小屋番だったレジェンド・次田氏によって初滑降されているそうです。
今回は初日に横尾経由で涸沢入りし、初日にどこかを滑り、2日目にここを滑って帰ることにしました。


山スキーでは基本アプローチにおいてもスキーを使うのがベストですが、さすがに5月では板とブーツを担がざるを得ません。横尾の橋を越えて雪が見え始めてから、ようやく板を履き、スキー歩行に適した場所を探して沢沿いを行きます。

穂高エリアがまだ滑れると言っても、観光や登山目的で来られる方がほとんどなので、沢渡からのバスでは周囲から浮きますし、荷物が多くて迷惑もかけます。河童橋を越えてからもしばらくは好奇の目に晒され、いい気分はしません。

「バカじゃないの」
「よっぽど滑りたいんだね、かあいそうに」
「転べ」

等とささやかれていることでしょう。


気にしません。

それを承知でここに来ているのですから。とはいえ、これらの声は厭世的で猜疑心の強い私の心を反映したものであり、実際には

「あの人たちどこ滑るんだろう」
「すごいね」
「いつかやってみたいね」

のような羨望に満ちた声も少しは含まれていたように思います。

しかしだからといって嬉しいとか、羨ましいだろう等という気分はほとんどなく、やはり

「皆いなければいいのに」
「人がいない山に行きたい」

という気持ちに変わりはないのです。

そろそろダークサイドに落ちそうなので、山の話に戻ります。涸沢へのスキーアプローチ、今回は横尾谷の右岸、屏風岩の基部を巻きました。デブリも多く、上部のハザードはなかなかのものです。既にかなりの雪が落ちているものの、気温が高いときには歩きたくない場所ですね。


本谷橋あたりから再び涸沢に向かう人の列に合流し、あとはひたすら沢を詰めてスキーで登っていきます。ここまで来ればもうすぐです。この日は風も少しあり思ったより快適でしたが、天気が良いため日焼けはかなりのものでした。


涸沢に着き、午後の滑りに出かけます。涸沢ヒュッテの天場にはテント村が形成されつつありました。時刻は12:30。


こちらは今回の目的の1つでありました2ルンゼ。雪付きが悪く、中間部に氷瀑が大きく露出していたため断念しました。このルートは2004年に吉田氏によって初滑降されており、私がググった限りでは他に記録がありません。

単純に滑るだけなら間違いなく隣の直登ルンゼやその途中から派生する1ルンゼが気持ちいいに違いありませんが、やはり他に記録が無い、より危険で人が少ない方に魅力を感じてしまうのが私の哀しい性癖であるらしいのです。


この日はどこかいいところを求めて登って行きましたが、昇温と共に湿雪雪崩がでろでろと下りてきたので、適当に滑って涸沢ヒュッテでお酒を戴き、たまたま遭遇したレジェンドたちのおでんをつつきました。

滑っているのは祥子さんという滑って撮れる素敵な女子


翌朝、涸沢から見た吊尾根。

こちらはレジェンド三浦氏が初滑降したというライン。昨日ヒュッテでお会いしたこの老獪なるレジェンドは、この日ここを滑ると話していたが、「必ず手に入れたいものは 誰にも知られたくない」という歌詞にもあるように、本命は他にあったようだ。

純粋かつ素朴、完全なる無垢、北海道のおおらかな大地で育ったこの俺は、「未知の要素」と単なる無知、怠惰を混同し続ける男、そう空前絶後の間抜け、トマホーク・カネイワ。海千山千の巧者たちの本当の狙いを後に知ることとなる。


我々に選択肢はあまりない。2日で下りないといけないため、この日扇沢を下りることは既定路線。
そしてあまり遅くなると日射と昇温の影響で雪崩が怖い。特に扇の形をしたこの沢は雪崩が集まるため、一日中遅くまで危険なルンゼを滑って遊ぶことはできない。
かと言って早立ちしても今度はカチカチのアイスバーンが怖いので、春のスキーは難しい。

というわけで、まずは人の多い小豆沢(ザイテングラートの横)を避け、朝のうちに短時間で直登ルンゼを詰め、奥穂山頂を目指すことにしました。

上の写真、岩に取り付いているのはこれからデナリの滑降を目指しトレーニング中の加藤氏らだったようです。


ふり振り返るとGWの涸沢を象徴する人の列ができています。
人が多いと感覚がマヒしそうになりますが、気温の高いこの時期、日射の影響を受ける斜面で長時間過ごすのは避けたいところです。


その後、順調に歩いて9時に奥穂山頂へ。扇沢の雪質を確かめたり、2ルンゼや西面の密かに狙っているラインを偵察したりして小一時間ほど山頂で過ごしました。


こちらが帰り道の扇沢。山頂からまっすぐのラインは先が見えない怖さがあります。


プロたちがきたあの向こう側に2ルンゼの入口があります。


さあ、滑ります!

扇沢の大斜面。以前はスキーヤーズレフト側を迂回しましたが、今回は雪も緩み、まっすぐ気味に滑降できました。


途中2度集合した後、扇の要を過ぎてルンゼ状の地形に入っていきます。

扇沢は南西~南東向きの広い斜面を抱える巨大な沢。しかもその場所で発生する雪崩もここに集まってきます。この日も例外ではなく、ジャンダルム方面から来る湿雪が沢心に小さな川と溝を形成していました。


そして来ました、湿雪雪崩。


この時発生した湿雪雪崩の一番近くにいたパートナーのチャイ PRO (チャイナで作られた GO PROっぽいカメラ)が、安物の SD カードにこの出来事を記録していました。


この動画を記録したモーゼがいた前後にある安全なポイントで待機していた私とAKさんは、これを冷静に?見ていました。

上にいたAKさんは早くからその存在に気づき、大声や警笛で知らせたものの、滑走中のザーザー音で本人には直前まで届かなかったようでした。結局、直前に私の声と雪崩の気配をほぼ同時に感じ取ったモーゼは、直前にこれを回避することができました。

雪質、気温、日射、地形、リスクに晒されている時間、諸々を考慮しても読み切れず、自然に負ける時がある。特にこの日は気温が高く、快晴。午前中でも関係なく雪崩が起きていました。

この時期のルンゼ滑降はリスクが高い、と再認識させられた出来事でした。


そうして我々は最後に快適な岳沢でのパーティランと壮絶な藪スキーを経て、時として自然よりも残酷で救いのない文明の地へと帰って行きました。


こどもの日に嫁子供、ひいては新居に遠路はるばる訪ねてくれた妻の両親を放置することは、一般的には万死に値するとされ、これが広く世間に知れ渡ると社会的な死を招くことになる。これは、被写界深度が浅いせいで、せっかくの五月っぽい置物にピントが合っていない問題とは比べ物にならないほど、深刻なのです。

山への欲望を抑圧することでなんとか家庭の平穏を保ったものの、スキーシーズンが終わるこれから、次の降雪までは我慢してポイント(仮想のポイントなので、実在しない可能性もあります)を必死に稼ぐことになるでしょう。

育児の鬼に待ち受けるのは、オムツ替え、買い物、炊事、日々の通勤、そして街で他人の山行記録を SNS で見る苦行なのです。



それが自分が密かに狙っていたラインで、しかも初滑降だったりした時にはなおさらであります。

セバ谷から白出沢に抜けるこのライン、以前白出を登る際に特徴的な廊下を見つけ、誰にも言わずにこっそり宝箱にしまっておいた場所でした。

扇沢を滑ったこの日、エントリーポイントも確認し、「まだ大丈夫だろう。また今度」と持ち前の呑気さで呆けていたら、まさか御大が狙っていたとは!

当日の日程でセバ谷を滑るのは可能だったものの、横尾経由でまた歩いて帰るのは気分的に無理だったので、選択肢には無かった。よって仕方なく、また御大たちの狙いを知っていたとしても、背中に圧力を感じて滑るのは何かが違う。滑るルートは計画(計画書には一応記載しておいた)と純粋に自然条件により決めるのが正しい。

おそらく御大は額縁に入れた忌まわしいフランシス・ベーコンの絵画の裏に隠し金庫を持ち、この滑降を他の未滑降リストと共に、長い間大事にしまい込んでいたに違いない。

これは地道な調査や経験、力量の結果。残念なことに変わりないものの、なるべくしてこうなったと言えるでしょう。

「人生には、無知と自信さえあれば良い。 そうすれば、成功は確実だ」

と誰かが言った。確かになんとなく滑降いいラインをいつかなんとなく初滑降できることはあるだろう。しかし、過去の記録を知り、周到な準備を経て実行に移すよりも、確率はかなり低い。

未知の要素が減るからとかつべこべ言わずに、この夏はベルクシーロイファーと孫氏でも読もうかと考えるトマホークなのであった...!
我々が扇沢を滑った日の午後、同じエリアで雪崩により1人の山スキーヤーが亡くなりました。穂高や富士山を中心に各地にシュプールを刻んだ方で、前日に上高地で会ってご挨拶したばかりでした。氏の生前のご活躍を偲びつつ、末筆ながら謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2017年5月9日火曜日

Vol.71 未登の壁「マウントボール東壁」

 こんにちは。山田トシです。ロッキーもすっかり春になり晴れた日中はTシャツで行動できる季節になりました。最近はもっぱらフリークライミングに明け暮れていますが、今回の記事は今季ウィンタークライミングの目標そして我らがチームリンクアップの私、谷そして日本から駆け付けた星野の三人で挑んだマウントボール東壁の挑戦についてまとめと反省を込めて書いていきたいと思います。
いきなり雪崩の写真で脅かしてしまい申し訳ありませんが、この壁が標高差1000mを超える未登のマウントボール東壁です。
 結論から言うと今回の挑戦は完敗でした。今季のロッキーは雪の量が例年に比べてとても多く雪崩の危険が非常に高かったです。私達が敗退を決断した直前にこの雪崩に直面しました。
 この写真は昨年谷と二人で行った試登時のものです。前回は全く真逆のコンディションで雪は少なく暑すぎたのでほぼ氷が溶けてしまっている状況で敗退しました。谷が登っているこの氷も実はほとんど雪の塊と化していました。
 これが昨年撮ったマウントボール東壁になります。ほとんど雪もなく雪崩の危険も少ないように感じました。ただ、氷の条件が悪すぎました。
 昨年の経験からこの壁は外的危険がとても大きく今季チャレンジできるかはコンディション次第だと言うことは分かっていたので2月末にメンバーの谷そしてボブ菊池と共に偵察に出かけました。昨年に比べて氷の条件が良く、1本の氷を初登することができ名前を谷が食べていたスナックの味にちなんで「WASABI」と名付けました
(詳細は http://gripped.com/news/wasabi-new-steep-wi5-ice-route-rockies/)。
写真はWASABI2ピッチ目を登る私です。春の挑戦に備えてテントやクライミングギアを木の上に吊るし、下山しました。
 3月に入り星野も無事にロッキーへ到着し、本番に備えてできる限りトレーニングを重ねました。星野は北海道で鍛えた腕をロッキーで振るいまくっていました。北海道で登ってればロッキーでも通用する!!と豪語していました。
 スキーを履いていよいよ入山。荷物をデポしたにも関わらず荷物が前回より多いのは食事を豪華にしすぎたせいでした。私はこの入山前に酷い風邪を引いてしまい数日入山を延期させてしまいました。体調管理も今回の反省の一つになってしまいました。
 翌日気合十分でBCを出発する谷。午前中は日が燦々と当たる壁なので敢えて午後から取り付くことに。
 今回のバックアッププランであった北壁側です。東壁は日が当たりコンディションが掴みにくいため日の当らない北面も視野に入れての挑戦でした。
 写真中央の顕著なガリー(溝状)から登り始めます。昨年のラインとは違う(上部には顕著なセラックや雪壁がないので東壁では一番安全だと考えられる)ラインを攻める予定でした。
 今回唯一のクライミングとなった1ピッチ目をフォローする星野。この時北壁側ではセラックの崩壊が原因と思われる巨大な雪崩が起きていました。
 次第に強くなるチリ雪崩から身を隠す谷。日もすっかり陰り落ち着くだろうと思われた壁から起きるチリ雪崩。ラインは溝状なので上から発生したものが集まってくる。なぜ起きるのか?原因が上部で吹いているであろう風しかないが、それほど風は強く感じない。いつ巨大な雪崩が襲ってくるかもしれないという恐怖で心がいっぱいになり、下降を開始しました。
 写真は敗退を決断したその時。

「もう一度頑張ってみよう」とメンバーで話し合い、実は朝の方が状態がいいのかもしれないと今度は午前中にアタックを試みることにしたが、アプローチ中はボールの雪面が気になり気持ちは上がって来ない。いつ雪崩が起こるか分からない恐怖と昨年からの目標だけに登りたいという好奇心。もし取り付いたら絶対に満足いくクライミングができることはラインから見て取れる。しかし冒頭の雪崩が起きたことでそんな堂々巡りの自問自答から解放され今回の挑戦の敗退を決めたのであった。

あまりにもあっけなく終わってしまった計画に自責の念は拭えない。敗退はいつも簡単である。私たちの出した判断は間違っていなかったと思うが、何かが自分に足りないのも確かだと思う。その何かとはロッキーの山に対する経験だと自分は感じている。ロッキーでクライミングは年中しているが山でクライミングをしている日数が実に少ないことに気づいた。もっと経験があれば「今回の計画は早々に変更するべきだったのでは?」、「本当に春のこの時期がベストの壁だったのか?」、「このコンディションなら実は登攀可能だったのでは?」などの疑問に対する判断をもっと明確に納得してできたに違いない。
一つはっきりしたことは今までベストシーズンの一つと思っていた春の時期は天候が意外に不安定で雪の量は一年で一番多いということだった。今回のボールは偵察した2月よりも春の方が圧倒的に雪量が多くなっていた。壁の特徴から言えば3月初旬が良かったのかもしれない。今何を書いても後の祭りになってしまうが、ただ一つはっきりしていることは四季を通じてロッキーの山に入りクライミングをたくさんして経験を積むしかないという事実だ。その先には今回のような冒険的なクライミングの成功があるんだと思う。これからもこの地で登り続けよう。

今回の計画に際してチームリンクアップにご支援をして頂いたモンベルの皆様、そして個人的に日頃からサポートをして頂いているミレーの皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。

 ボール東壁全景と挑戦したライン。
青:昨年の試登ライン、オレンジ:WASABI、赤:今回トライしたライン

2017年5月2日火曜日

Vol.70 春の神通川

さて、ゆうきです。
日本では大型連休ゴールデンウィークです。長い人で9日間くらいの連休ということで旅に出ている人、家でのんびりしている人、仕事の人、いろいろあると思いますが天気が良く大きな災害や事故がないことを祈りたいと思います。

雪解けが進み、冬の間にウィンタースポーツを楽しませてくれていた固体のH20が液体となり川に流れ出て水量が増えるこの時期は川遊びを楽しむ一部の人々の心を躍らせます。
また近隣の田んぼに水が張られ田植えを待つ様子を見かけるようになりました、そんなところにも水の恵みを感じることができます。

70回目の今回は、春の富山の川について紹介しようと思います。
立夏を前に気温の上下が激しい時期ですが夏を感じるくらいの陽気の日も目立つようになりました。
立山ではまだまだ雪がたくさんありますので雪山登山、滑降を楽しむことができますよ。

上の写真は先月の神通川の様子、まだ雪解け水が出始めたばかりでひっくり返ると頭がキーンとなるくらいの水温です。草木の色もまだモノトーンで寒々しいですね、動物や虫たちは動き始めていて川を下っていると鳥をよく見かけます。仲間と3人で遅めの初漕ぎとなりました。

数日前にも神通川に漕ぎだしました。まずは写真をどうぞ。


先月の場所よりも下流の市街地周辺です。桜は新緑に包まれており夏日を記録した日だったので裸にライフジャケットで気持ち良く漕ごうと思ったのですが、はねる水しぶきが冷たく時期的にはまだまだドライスーツ必須の水温です。
水量は雪解けの洪水並みの水位から落ち着いて透明度もなかなかあり、川下り川遊びにはいい感じです。もう少し水温が上がってきて気温が高ければ水浴びもいい季節になります。

この川、鮎釣りが人気でハイシーズンになると車を横付けできるエリアには数メートル間隔で釣り人が連なります。今は静かな川ですが、これからはどんどん活気に満ちてきます。
漕ぐパドルにも鮎がぶつかるようになってきますよ。

我々カヌーイストは、釣りシーズンになるとカヌーシーズンと重なるので共に好きな川を楽しめるように、釣りの邪魔にならない程度に川下りをしたいと思います。