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2019年1月10日木曜日

Vol.156 おそらくは日本一遠い初詣へ

「遠い」という概念は難しい。もちろん客観的に計測できる距離的な意味もあるし、街だったら道路事情や渋滞、山だったら歩きやすさや難易度等の要因によって、時間的や心理的に感じられる遠さもあるだろう。距離的な面ではどこを起点にするかという問題もあるし、時間・心理面ではどの時期にどのような条件で行くのかによっても変わってくる。その中でヒマで自由な私(妻子は実家に帰った!)たちは、年始に立山へ参拝し、その懐で山スキー三昧できないか、という計画を立てた。正直日本一かどうかはわからないが、これはかな~り遠い初詣である。そして、これは結構な博打である。

雄山神社に向けてツボ足ラッセル

立山は秋、春の山スキーエリアとして日本では名高い。本州で初滑りと言えば「秋の立山」というイメージをお持ちの方も多いのではないだろうか。しかし、昨今の寡雪でアルペンルートが閉鎖になる11月末までに、滑るために必要な降雪が無い年も増えてきた。緯度的に低い位置にある本州では、ここでの初滑りを逃すとあとはゲレンデか標高の低いアプローチを耐え忍んでアルパインエリアを攻める藪スキー、そうでなければもう北海道に行くしかないだろう。ここ3年、我々は間違いの少ない北の大地を選択してきたが、今年は2人だけだったため、本州に留まる決定をした。

未明から始まる美女平までの格闘

冬の立山は遠い。一旦アルペンルートが閉鎖されると、立山登山の基地となる室堂まで、長野県側からは後立山連峰を越えて黒部川を渡らなくては行けないし、富山県側からはシーズン中ならばケーブルカーとバスでアクセスできる広大な溶岩台地を歩いていかなければならない。日本海に近い高山のため雪深く、ラッセルはなかなかに厳しい。森林限界を超えた場所でスキーをするにはある程度の視界も求められるが、冬の立山は基本的に天気が悪い。私の勝手な感覚では未だに厳冬期の立山連峰は「週一で晴れがくれば御の字」くらいの印象だった。木のような目標物が無い高山帯では視界が無ければ滑るのは難しい。つまり、行けたとしてもまともに滑れるかどうかもわからないのだ。

重荷を背負って道路をひたすらラッセルする

それでも今回は私が立山を目指した動機は主に以下である:

1. 人のいない所に行きたい(ゲレンデや街から離れたい)
2. 最近の厳冬期は日帰りばかりなので、山に泊まりたい
3. 藪が少ない快適なスキーがしたい
4. どうせ室堂まで行くならまとめて何日か滑りたい

そして、今回の天気予報にはもしかしたらそれが叶うかも知れない、という幾ばくかの可能性を感じていた。

交代制でずっとこんな感じ

3時過ぎに立山駅の駐車場を出て、夏道に取り付く。ザックの重さは約20キロ、重いのは主に食糧だ。最初はスキーで登り始めるが斜度があり、岩や倒木などの障害物が多い。新雪目算60cmの下には根雪が無く、踏むと笹や岩が出て、ツボ足だと踏み抜く。雪まみになり、やがてびしょびしょに濡れ、呪いの言葉を何度も吐きながら3回は帰ろうかと思ったが、かなりの格闘の末、3時間以上かけて美女平に立った。そこからはひたすら膝〜脛のラッセルを繰り返す。意味などを問うてはいけない。ただひたすら空っぽの頭と雪に向き合うだけである。作詞家だったら一曲書けるくらいの時間があったのかも知れないが、私の中では何も生まれなかった。12時半、出発してから9時間半かけて到達した1520m地点で幕営することにした。

元旦に見た富山市の夜景

明朝、雪が沈降し程よいラッセル具合になった弥陀ヶ原を歩き始める。遠くに富山市の夜景が見えて人里が愛おしく思える一方、同時に「そこには居たくない」という自分を確認し、ほどよい距離感なのだろうと納得する。元々興味が無いせいもあるのだが、正月という雰囲気はまるでない。パートナーが昨晩ラジオで聞いたという紅白の話をしてくれたくらいだったが、正直男女の歌コンテストもサザンの〆もどうでもよかった。そもそも一年の初めというのは便宜的なもので、そういう意味であらゆる一日には意味があるし、反対にさして意味が無いとも言えるだろう。とりあえず今日室堂に着いたとして滑れるのかどうか、それだけが私の関心ごとだった。

天狗平まで来た。室堂までもう少しだ

出発した頃は晴れていたのだが、次第に雲が出てきており、10時前に室堂に着いても立山は見えなかった。仕方なくこの日は沈殿とするが、幸い携帯の電波があるので、スマホの電池さえあれば娯楽的要素には困らなそうに思えた。いつも見ているライブカメラに写り込んで記念撮影をする。以降1月4日の早朝まで停滞が続いた。約2.5日間の長い停滞である。当初1.5日くらいは滑りたいと思っていたのだが、予報に反して晴れ間が見えることはなく、最終日を迎えることになる。

日課となったライブカメラ撮影

俗世間との接触を断つことが、冬山に入る1つの理由のような気がするのだが、なまじ電波と電源があるため、文明の利器を用いて近くのジムにポケモンを置いたり、Twitterを更新したりしていた。また、毎日悪い方向に修正される天気予報を見ながら、滑りに行けないことに苛立ちを覚えたり、このままではラッセルや歩荷といった労力に見合ったリターンがなくなる、などという焦りにかられたりした。ホテル立山は夜間一部灯りがともり、人の気配が感じられる。中に入りたい。こんなことなら例年通り日帰り山行を重ねた方が良かったか、などと後悔の念も入り乱れ、狂おしい時間を過ごした。

とにかく惰眠をむさぼるパートナー

一方で私のパートナーといえば実にのんきなものだった。いわく「ここまで来れただけで満足」と、三が日を過ぎようというのに初滑りどころか初詣すらできていないことすら、気にも留めていない。もともと滑走意欲がさほど高くなく、パウダー滑走よりもラッセルに燃える男なだけに、ある程度理解できることとはいえ、この男の無欲ぶりには驚かされた(このままでは結婚すらできないかも知れない)。思うに、余分な欲求や感情をコントロールできなくては、自然条件よりも自分のことを優先し、危険な結果を招くのが登山である。ただし、欲がなさ過ぎてもなすべきことはなせない。なすべきこととは単純に自分がやりたいことであるが、いかにしてそういうミスの起こりにくい状況を作るのか、というのが実は今回この時季に私が立山に入った最大の理由であった。

5日目にしてようやく晴れた北アルプス。一ノ越より見た後立山。槍も見える

冬の立山というのは実に滑りに適した斜面が多い。だけでなく、スキーでのシールを使ったアプローチもしやすい。しかし、雪崩のリスクも当然あり、自然発生だけでなく人為的に起こされた雪崩によって他者を巻き込んだり、逆に巻き込まれたりするおそれもある。そういう点で、11月の立山は人が多すぎる。自分のパーティだけならともかく、他人の行動をコントロールすることはできない。同時に人が多いことが、危険の認知にも影響をおよぼす。「他の人が行っているから大丈夫」だったり、「彼らと同じように自分をあそこを滑りたい」だったり、「人が見ているから上手い滑りをしたい」だったり、ただでさえ多い煩悩は他者に触れることで増幅される。人がいないからこそ、自分の判断と責任で安全な行動ができる。そこでできることを確認したい、というのが今回の私なりのテーマだった。


快晴の中、雄山神社に初詣へ

1月4日、冬型の気圧配置が終わり高気圧が近づいたことで、未明の空には星が瞬いていた。待ちに待った快晴である。とはいえ、一日天気が良くても一日中立山で遊んでいる余裕はない。この日が下山日となっており、正月から降り続いた雪により帰りのアルペンルートには、深いラッセル地獄が待っているのだ。滑るための行動は10時くらいまでとし、あとは脱出行に注力することにした。そういえばタイトルは「初詣」だったが、正直なところ私はそこまで関心が無く、どちらかというと「初滑り」が重要で、こちらの方が幾分か宗教的であった。

昨シーズンとほぼ同じとなった初滑りライン

雄山に参拝してから立山の最高峰である大汝山を往復し、滑ったのは昨シーズン、11月の立山で滑ったのとほぼ同じラインだった。南面の斜度40度くらいの程よい傾斜をした広い沢地形に、去年と全く同じような浅く、滑りやすい粉雪が溜まっていた。これを終えてから浄土山側に登り返してボウルをもう1本。出だし以外は緩傾斜で雪崩もあまり恐くない。結局のところ風の影響が少なくて程よい傾斜の斜面を、去年ソロだった時と同じように選んで滑っていた。雄山から東面の滑走と登り返しを省いたあたり、より安全な方向に振れたかも知れないが、それは時間的な都合でもある。

左が龍王岳、右のボウル地形を2本目の滑走とした

誰もいない立山を滑る感覚も、滑り終わった後にふり返って見るシュプールも素晴らしかったが、これで全てが報われたかというと、正直よくわからない。下山中も、下山してからも何かもやもやしたものが残っていて、それは今も消えていない。「5日間も山に入って、気持ち良い滑りもあって、最高でした!」と報告できれば最良に違いないのだが、自分が求めていたものとその結果について、未だに消化できていないものがある。

誰もいない室堂(この対面にはホテル立山があり、建物の中には誰かがいる)

おそらく私の不満は、主に思っていたリターンが得られなかったこと、そして、人のいない大自然の中に入りたいという欲求が満たされなかったことに起因するのではないかと思う。前者は自然に対して過度な期待や想像をしたことが原因であり、100%自分の問題である。新年ももうだいぶ明けてしまったが、今年も煩悩と向き合う日々が続きそうだ。一方で、後者は内的・外的両方の要因がある。山中にいても明かりの灯る建物や外部と通信できるスマートフォンがある状況にあっては、大自然など感ずるべくも無く、それを利用するほどに私は弱い。大自然あるいは「ウィルダネス」と呼べるような自然は、私が生まれた時から日本にはもう既になかった。黒部や立山はさらなる観光地化の方向で話が進められており、今後より俗化することは間違いないと思われる。そういう流れについて、いち登山者として、いち市民としてどのような態度をとるべきなのか、そして自分自身はどういう登山をするべきなのか、私にはまだ答えが出せないでいる。

弥陀ヶ原を下りラッセルして帰った

なお、1月4日の下山はたっぷり20時までかかりました。本記録の詳細はこちらにまとめましたので、良ければご覧ください。

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